通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 食糧危機と配給事情 |
食糧危機と配給事情 P86−P88 戦争に敗れた昭和20年の北海道は、冷害によって著しい凶作に陥り、9月20日現在の北海道庁の「作況調査」によれば、平年作に対して米43パーセント、麦類68パーセント、豆類37パーセント、ジャガイモ70パーセント、蕎麦50パーセント、燕麦85パーセントという収穫予想であった。このために食糧不足は深刻の度合いを強めてゆき、道庁の「本年度ノ凶作ニヨル本道食糧需給ハ本年〔昭和二十一年〕二月末迄ヨリ見透シナシ」という発表に刺激された道民は、こぞって食糧の買い出しに走った(北海道立文書館蔵 昭和21年2月「長官事務引継書」)。北海道庁警察部は、その取締りのために「食糧危機突破運動」なるものを第1次(昭和20年11月22日から12月6日、この間の買い出し闇販売により取調べを受けた件数と人員は7682件・8262名)・第2次(同年12月7日から12月16日、同違反件数は2994件・3122名)の2度にわたって展開した。また、警察力による農産物の供出督励にも乗りだした。しかし、その成果は必ずしも芳しいものではなかった。先の「長官事務引継書」は、この件について次のように述べている。 第二次ニ亘ル食糧買出一斉取締ヲ実施セルモ食糧ノ供出ハ依然トシテ不振ヲ極メ、其ノ儘推移スルニ於テハ治安上不測ノ事態発生スルヤモ計難キ状況トナリタル為、終戦後警察ノ食糧供出ニ対スル協力面ハ取締ノ強化、情報蒐集、輸送協力前ニアリタルモ、逆ニ供出督励ノ一路ニ立ツ事トナリ、十二月二十七日ヨリ強力ニ実施中ナリ。
之ガ緊急輸送ヲ為シテ市民ニ配給セル結果、警察協力ニ対シ市民ハ好感ヲモツテ迎ヘタルモ、生産者特ニ農業会ニ於テハ警察督励ヲ忌避スル態度濃厚ナルモノアリタリ。 ここで函館市の配給事情をみておこう。昭和20年11月から21年1月にかけて、函館市民は「食糧飢饉」にあえいでいた(第7編コラム6参照)。11月中の米の配給はわずか14日分に過ぎず、「他は雑穀その他種芋まで融通して賄はれ、しかも九日の食糧を十日に食ひのばし、″闇″と混食して、その日その日の飢えをしのいで来た」が、12月にはいると食糧事情はより切迫した。すなわち12月の配給は25日までであり、それ以降は「空配給」となった。12月25日現在の食糧営団函館支所の調査によれば、主食である米の割り当ては、11月は3万2000俵あったものの、12月の割り当ては「皆無」となった。しかし、18万7000名という函館市の人口(正確には、昭和21年の人口は18万7367名である)を賄うためには最低3万1000俵は必要であり、あらゆる手段で配給用食糧を入手した結果、上旬と中旬は米6日分、下旬は米1日分の計13日、そのほか麦類8日、澱粉1日、乾パン1日、豆類1日の合計24日分の配給を確保したが、その後は、前述のように「空配給」という事態となったのである。このため市民の食生活は、「″闇″の中に配給をまぜて其日を過しているのが現状」であった(昭和21年1月3日付け「道新」、第7編コラム7参照)。 |
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