通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 敗戦と朝鮮人連盟函館支部の結成 |
敗戦と朝鮮人連盟函館支部の結成 P75−P76 戦前北海道の朝鮮人労働者は、強制連行を受けた人びとをはじめ圧倒的に多くが炭鉱労働者で占められていた。彼らは、日本の敗戦前から炭鉱の現場で「逃走」や「蜂起」といった方法で強制労働に抵抗していたが、敗戦後は、積極的に「朝鮮人組合」を結成し、朝鮮への早期の帰還や未払い賃金の獲得といった要求の実現に向けて闘争をおこなった。そのもっとも代表的なケースが北炭夕張炭鉱であるが、炭鉱労働者以外の在道朝鮮人も、組織化に向けた動きをみせていった。ただし、このような動きは、8月15日の敗戦当日から始まった東京方面に比べて北海道はやや遅れており、北炭夕張炭鉱の場合でも朝鮮人組合の設立は10月9日頃であった。むしろ、9月10日に自治会を結成し、会社側と待遇改善の交渉を開始した三井美唄炭鉱の中国人労働者の方が、組織化という点では早かったといえよう。さて、北炭夕張鉱で朝鮮人組合が結成された約1週間後、昭和20年10月16日付けの「北海道新聞」に次のような記事が掲載された。 朝鮮人大会 この記事で注目されるのは、大会が占領軍や警察の後援によって開かれると共に、大会の司会者を田村春源(魏春源)が務めていることである。彼は、前述のように、戦前の函館における函館新興共済会という朝鮮人団体の中心人物であり、朝鮮人の統制団体ともいうべき函館協和会の設立にも寄与したと考えられる。そのような過去を持つ人物が再び登場しているが、このような事実は函館だけでなく、敗戦後の全国各地で作られた朝鮮人団体の草創期に比較的見受けられた現象であった。 |
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