「函館市史」トップ(総目次)
第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
3 外国人労働者の動向
戦時期の朝鮮人労働者
朝鮮人と中国人の強制連行
函館俘虜収容所
敗戦時の外国人労働者
敗戦と朝鮮人連盟函館支部の結成
朝鮮民族統一同盟と朝鮮人連盟中央総本部
統一同盟全道大会と朝鮮人連盟小樽支部
北海道朝鮮人援護局
函館地方朝鮮人連盟の結成と活動
朝鮮人の帰国問題と朝鮮人連盟の推移
食糧危機と配給事情
函館の闇市とその取締り
朝鮮人団体の抗議
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北海道朝鮮人援護局 P80−P81
北海道の朝鮮人団体としては、さらに北海道朝鮮人援護局がある。この団体は、「朝鮮臨時政府代表」(実際は朝鮮海外戦災同胞救護会に所属する援護団体のメンバーであった)で、アメリカ第八軍総司令部および北海道進駐アメリカ第七七歩兵師団司令部の朝鮮人問題顧問委員である洪禎益・金容泰・郭炳守が昭和20年11月に来道して設立したものである。彼らは来道するや、ただちにアメリカ第七七歩兵師団指令部内に事務所を設置して活動を開始したが、その背後には、朝鮮人連盟に対抗しようとする朝鮮臨時政府代表事務館の意図が働いていた(昭和20年11月23日付け「道新」)。
洪禎益ら3名は、11月24日在道朝鮮人に対し「帰国問題の善後処置」に関する9項目の要望事項を第七七師団司令部を通じて公表した。その第2項には「われらは専ら在北海道朝鮮人の生命、財産擁護、帰国問題および労務者に対する正当支払如何を査察することに限り事務を執る、なほわが同胞の自治的治安を維持せんがためすべての団体は一切これを監督査察する、わが同胞の援護はすべてわれらがこれを行ふ」、第9項には「進駐軍当局に要請、陳情などの各問題は必ず地方連絡員を通じわれらに提出せよ」とあって(昭和20年11月25日付け「道新」)、統一同盟が取り組んでいる朝鮮への帰還業務に、この援護局が介入しようとの意図がうかがえる。このような両者の組織的対立は、20年12月下旬になって解消した。すなわち、日本政府とアメリカ軍は統一同盟よりもこの援護局を支援したので(昭和20年12月28日付け「道新」)、以後の朝鮮人の帰還業務は、この援護局が主体となった。
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