通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
2 占領体制の確立

連合国軍の占領開始

アメリカ軍による軍政開始

北海道軍政部

北海道地方民事部

北海道地区民事部の廃止

終戦連絡札幌事務局函館出張所

北海道連絡調整事務局

北海道連絡調整事務局   P70−P71

 昭和23年1月31日、終戦連絡事務局は廃止され、同日法律第4号「連絡調整事務局臨時設置法」(昭和23年法律第4号)が制定・公布された。2月1日、内閣総理庁外局連絡調整事務局が新設され、外務省の外局であった終戦連絡事務局の業務が移管された。それにあわせて、中央事務局と11の地方事務局が設置され、北海道には、札幌市に北海道連絡調整事務局が置かれた。この事務局には、「連合国官憲との連絡に関連する各庁事務の総合調整に関する事項を審議するため」(昭和23年法律第4号第11条)、連絡調整委員会が設けられ、昭和24年4月、中央官庁の出先機関の長に中野敏夫札幌警察管区本部長・田中敏文北海道知事・高田富輿札幌市長を加えた委員13名からなる北海道地方連絡調整委員会が設置された(『日本占領・外交関係資料集』第2期第1巻)。
 しかし、昭和24年6月、政府は行政改革の一環として連絡調整事務局の所管業務の縮小を図った。すなわち同年5月31日の法律第135号「外務省設置法」によって6月1日に外務省連絡局が設置され、連合国軍総司令部との交渉で再び外務省が主導権を握ることとなった。しかし、連絡調整事務局の地方事務局はそのまま残されたため、連合国官憲との緊密な連絡事務を図るために地方連絡協議会が北海道・東北・東海北陸・近畿・四国・中国・九州に置かれることとなり、北海道地方連絡協議会は昭和24年8月15日に発足し、同日札幌市内のニューグランドで第1回の会合を開いている(同前)。
 昭和26年5月11日、連合国軍総司令部は地方民事部の規模縮小を口頭で指令し、6月30日をもって地方民事部の地方行政監督業務を終了させた。これにともなって地方連絡協議会も廃止されることになり、北海道地方連絡協議会は6月29日に廃止された。なお、北海道連絡調整事務局が廃止されるのは、昭和27年4月1日のことである。そして、連合国軍総司令部との交渉は、昭和26年9月8日、サンフランシスコでの対日講和条約の調印にともない、同年12月1日に新設された外務省国際協力局が担当することになった(前掲『日本外交史』)。
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