通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第9節 労働運動の興隆と衰退
5 激化する社会・労働運動と三・一五事件

函館ドック争議と普通選挙

「三・一五事件」と函館

新労農党の結成と労働戦線

「四・一六事件」の影響

苦戦する社会運動の担い手

社会民衆党と鶴本徳太郎

『戦旗』函館支局事件

「全協四・二五事件」関係

昭和8年メーデー

「四・一六事件」の影響   P1095−P1096

 「三・一五事件」に続く左翼勢力ヘの弾圧事件は、昭和4年の「四・一六事件」であった。この事件による北海道の検挙者数は115人・起訴は25人で、函館では前田昇次(労農同盟支部常任)、津村二郎(本名は佐藤七郎治、北海漁業労働組合常任)、曽根銀次(函館一般労働組合常任)、和田善雄の4名が起訴された。この事件の検挙者の特徴は左派の全協北海道地方協議会所属組合の幹部が根こそぎ検挙されたことである。「三・一五事件」の検挙で各労働組合の運動は沈黙させられていたが、なかでも、函館一般労働組合(松風町261番地成田山向小路)、北海漁業労働組合(同)などは左派として奮闘していたが、昭和4年末には、函館鉄工職労働組合、函館船渠工愛会は解散し、活動は見られなくなった。
 全国的には大山郁夫が、合法的無産新党の設立を目指し、昭和4年11月1日に新労農党を結成したことに対し、北海道では函館一般労組など一部の左派勢力が同党の結成に反対したが、北海道は全体として新労農党を歓迎する傾向の方が強かった。新党結成大会の直後の11月10日、新労農党演説会が大山郁夫を迎えて明治座で聴衆1000人余を集めて開催されている(松山先掲書)。しかし、その後の左翼に対する弾圧の激しさは後述するように、運動の担い手が奪われたことから大衆的な運動を展開することを不可能にしたものの、この時期に続いた長期の不況は首切り、減俸などを労働者に強い、また、電車賃・借家代の値上げなど一般市民の生活を苦しめていた。そのため、生活防衛のための諸問題が多く発生しており、これ以後、函館においては社会民衆党系の動きが目立つようになっている。
 そして、同5年春から無産政党の統一合同問題が浮上する中で、函館では社会民衆党本部の方針に反対する勢力が全国大衆党に接近するようになった(『新北海道史』第5巻)。
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