通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第9節 労働運動の興隆と衰退 新労農党の結成と労働戦線 |
新労農党の結成と労働戦線 P1094−P1095 昭和3年の「三・一五事件」後、政府は引き続き4月10日に左翼3団体(労働農民党、日本労働組合評議会、全日本無産青年同盟)に対する解散命令を発し、そのために左翼勢力の組織と運動はさらなる大きなダメージを受けた。旧労農党関係者は、その後、新党準備会を組織し、新党結成のために、同年10月には綱領政策の草案を発表した。新党組織準備会は、12月に大会を開催したが、当局から解散を命じられたことから、労農党に代わる無産政党の設立をめぐる路線問題が噴出した。新党結成問題に対する函館の新党準備会支部の方針は、「結党はあくまでも旧労農党の戦闘的な伝統を受け継いだ党でなくてはならぬ」ということが基本原則であり、主義・綱領・宣言などのものはそれにそうものであれば良いという立場であった。また、結党の前後において、各地の支部レベルで大衆的な会議や演説会を開き、結党方針を末端、民衆レベルで議論することを求めている(「労働農民新聞」第63号)。新党準備会函館支部では昭和3年10月3日、函館劇場において大山郁夫委員長、徳永組織部長を迎えての大演説会を開催した。演説会は、「共産党事件公判公開の要求、労農党奪還」を掲げたものであっために取締警察の「中止」の声が続く中で終えざるを得なかった。労働戦線では、日本労働組合評議会の解散命令の後、昭和3年12月23日、日本労働組合全国協議会(全協)が結成されたが、北海道では同年8月から全協北海道地方協議会結成に向けての動きがあり、函館一般労働組合が積極的に参加している。 「三・一五事件」により中間・右派の勢力が強まった中、昭和3年12月7日、函館において社会民衆党北海道連合会執行委員会が開催され、当面の主要問題である「全日本無産党合同問題」について話し合いがなされた。ここで同月9日から11日にかけての全国無産党大会に参加するための北海道連合会の方針論議が行われた(12月6日付「函毎」)。 警察の取り締まり強化と無産政党・労働戦線の方向をめぐる路線論争が始まる中で、労働者の要求実現は困難をともなったが、3年末には函館の失業者が6000名にも及ぶという状況下で、函館一般労働組合では、「賞与は最低一ヵ月分を出せ」「工場の設備改善」「不当解雇絶対反対」を掲げた運動を展開した。また、七重浜工場での20名首切りや、星野鉄工所の賃金不払い、水電電車従業員の首切りや、解雇賃金不払いなどの問題が発生している(「無産者新聞」第199号)。 |
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