通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

6 写真の流行とその規制
1 函館のアマチュア写真家

素人写真講習会

函館カメラ倶楽部と素人写真会

写真倶楽部の誕生と写真展覧会

写真コンテスト

写真ブーム

活躍したアマチュア写真家

昭和初期のアマチュア写真クラブ

昭和期のアマチュア写真クラブ   P932−P933

 昭和に入ってからの写真クラブの動向は、当時の地元紙が伝える記事から拾ってみると次のようななものであった。
◇「函館光影会」主催の写真展覧会、百貨店4階で行う(昭和3年11月20日〜21日)。会員の新作50点。
◇「松友カメラ倶楽部」第1回芸術写真展覧会を丸井呉服店別館で開催(昭和4年10月19日〜20日)。出品印画はブロモイルおよびブロマイド70点。
◇「函館光彩会」芸術写真展を森屋百貨店で開催する(昭和6年11月11日〜13日)。
◇「函館写真研究会」昭和10年11月結成される(昭和10年11月15日、18日付「函毎」)。
 写真の流行もピークにさしかかった昭和10年頃までには、以上のようなクラブが見られるが、この年12月に函館日日新聞社より発行された『函館市誌』所載の「写真の会」の項によると、市内の写真愛好者は約3000人。団体は少なく、最も有力なものは次の4団体、函館写真研究会(代表国領栄一、マツヤ写真商会)、臥牛写友会(田本写真器商)、光影会(岡本写真商)、日魯写真倶楽部で、会員はそれぞれ約30人位。いずれも春秋2回撮影会を開催して作品を発表していると記されている。昭和13年3月函館新聞主催の「今井店内撮影大会」でも「市内三千人のカメラマン」へと呼びかけているので、やはりこの位の愛好者がいたものと思われる。
◇「北光写真倶楽部」は、8月例会を本町写真工芸社(菊岡光波)で行う(昭和11年8月22日付「函毎」)。

函館芸術写真倶楽部主催の展覧会のポスター
◇昭和12年、市内アマチュア5クラブ合同で第1回函館写真連盟展覧会を丸井で開催する。「写真同人会」(唐沢真一)、「臥牛写友会」、「日魯写真倶楽部」、「函館芸術写真倶楽部」、「北光写真研究会」(菊岡光波)。
 写真同人会の唐沢真一(号・露生、1907−69)は写真師で、西川町唐沢写真館唐沢昂の実弟。札幌、小樽、東京で修行後、昭和11年函館丸井写真部を経営した。同14年頃には、丸井を会場に大掛かりな個展を3回以上開いている。同25年丸井写真部閉鎖後は、再び小樽、苫小牧とわたり同35年札幌市南14条西8丁目で「唐沢露生写場」を開業する。撮影技術は抜群であった。函館芸術写真倶楽部は、写真誌『芸術写真研究』(主宰・中島謙吉)の会員で組織されているクラブである。
◇昭和14年4月20日から3日間にわたり、第4回写真連盟展が今井百貨店で開催された。函館新聞社と写真材料商組合が後援している。加盟団体は、それまでの5クラブに「光影会」が加わった6団体であった。
 この第4回写真連盟展を最後に、写真クラブとアマチュア写真家に関する記事は、展覧会の案内と要塞地帯法違反に関する以外は、敗戦まで紙面から姿を消してしまう。
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