通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 6 写真の流行とその規制 法律で禁止された写真撮影 |
法律で禁止された写真撮影 P934 明治28(1895)年の日清戦争後、函館には陸軍築城部の函館要塞築城事務所が開設され、31年11月には函館要塞(函館砲台)が竣工した。この函館要塞竣工に先立つ31年7月27日、勅令第176号が出され、「要塞ニ於ケル各防禦営造物ノ周囲ヨリ外方五七五〇間以内ノ水陸ノ形状ヲ測量、模写、撮影、筆記セムトスル者ハ豫メ当該要塞司令官ノ許可ヲ受クヘシ」(第1条)と要塞地内での無許可での撮影などが禁止された。さらに翌32年7月15日、「要塞地帯法」(法律第105号、明治33年7月1日施行)が公布され、「測量、模写、撮影」などについてより具体的に規定された。この「要塞地帯法」は、函館および近郊の市民生活に大きな影響をおよぼすと共に、写真撮影に法の網を被せることとなり、アマ、プロ、報道にかかわらず数多くの写真家を悩ませることとなった。そしてこの法の網は、改正されながら敗戦の昭和20年まで続いたのである。要塞地帯法 P934−P935 「要塞地帯法」から写真に関係する条項を抜粋して次に挙げる。第七条 何人ト雖要塞司令官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ要塞地帯内水陸ノ形状ヲ測量、撮影、模写、録取シ又ハ要塞地帯内ヲ航空スルコトヲ得ス この「要塞地帯法」は大正4年6月法律第17号、そして昭和15年4月同90号と二度にわたり改正され、区域が最大1万5000メートル以内と拡大されるとともに、水陸の形状のほかに「施設物ノ状況ニ付撮影、模写、模造若ハ録取マタハ其ノ複写若ハ複製ヲ為スコトヲ得ス」(第7条)と施設物もその撮影や模写禁止の対象となった。罰則も強化され、違反した場合は2年以下の懲役または2000円以下の罰金と重くなった。 函館山周辺には、現在要塞の基線を表わすコンクリートの標柱3本が確認されている。函館公園内市立函館図書館裏(上部破損)、南部坂ロープウエイ駅前方と日和坂船魂神社鳥居左手前である。南部坂の標柱四面には、「陸軍省」、「第十三号」、「津軽要塞第一地帯」、「明治三十二年八月十日」と表記されている。日和坂のは「第十七号」で、他の三面には南部坂のと同じ文字が刻まれている。100年近い年月を経過しているので、それぞれに判読困難な文字があるが、標柱の日付からすると「要塞地帯法」が公布された翌月に立てられた事になり、迅速に進められたことがうかがわれる。 改正軍機保護法 P935−P936 明治32年制定の「軍機保護法」が大改正されて昭和12年8月14日法律第72号として公布された。改正の主眼は軍事秘密保護の強化にあった。これに伴い改正の詳細説明が、10月19日函館憲兵分隊長室で行われた(昭和12年10月20日付「函新」)。函館市一円は要塞区域なので、撮影には要塞司令官の特別許可を要したが、さらに従来の要塞司令部許可証の外に陸海軍大臣の許可証も要することとなった。
また昭和14年3月25日法律第25号「軍用資源秘密保護法」が公布され、鉄道施設の撮影はもとより、施設内に立ち入ることも禁止された。この法律は「国防目的達成ノ為軍用ニ供スル(軍用ニ供スベキ場所ヲ含ム以下之ニ同ジ)人的及物的資源ニ関シ外国ニ秘匿スルコトヲ要スル事項ノ漏泄ヲ防止スルヲ目的」(第1条)に、26条より成っており、違反した場合には懲役か罰金が科せられた。この軍用資源秘密保護法に関連して、同年9月28日鉄道省令第17号「国有鉄道軍用資源秘密保護規則」が定められ、同年10月には函館桟橋駅前に次のような標識が立てられた(昭和14年10月22日付「函新」)。標識の大きさ、記載内容は、同規則に詳細に定められていた。 軍用資源秘密保護法ニ依リ許可ナク之ヨリ内ニ立入リ又ハ之ヨリ内ノ測量、撮影、模写等ヲ為スコトヲ禁ズ これにより、たとえ要塞司令部の撮影許可証を所持していても、鉄道大臣の許可がなければ、駅付近の施設や連絡船などの撮影は不可能となったのである。 要塞地帯内写真撮影取締規則 P936−P937 太平洋戦争が始まり、戦況がさらに厳しくなってきた昭和18年、函館市内における写真業者を除くその他の業務写真および一般素人写真家の無許可撮影を取り締まるため、津軽要塞司令部・函館憲兵分隊・函館警察署・函館水上署間の協議により「要塞地帯内写真撮影取締規則」の一部が改正され、「撮影禁止事項」と「要塞地帯内撮影取締方針」が発表された(昭和18年7月25日・8月13日付「道新」)。これらの改正事項は同年8月20日より実施されたが、その撮影禁止の対象となったのは、軍事上の施設および営造物は勿論、地形判断の資料となる広範囲の撮影や市街の全貌を表わすもの、電車道や街路・道路写真、また20メートル以上の高所よりの俯瞰撮影や海岸および港湾付近の殆どの撮影が制限対象とされ、これらの辺りではカメラを持ち歩くことすらも注意が必要となた。また「要塞地帯内撮影取締方針」では、要塞地帯内の写真撮影について、屋内外を問わず総て許可を必要とし、個人の願い出は原則として許可しないほか、フィルム購入についても「フィルム検閲証」と引き換えに購入すること、あるいは検閲については要塞地帯外の場所で撮影したものも対象となり、写真展や撮影会もあらかじめ届け出が必要になるなど一層厳しいものとなった。 |
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