通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

6 写真の流行とその規制
2 法律で禁止された函館の写真撮影

法律で禁止された写真撮影

撮影許可願と検閲

写真の要塞地帯法違反

撮影許可願と検閲   P937−P941

 一般の人が要塞地帯内でカメラを所持し撮影するためには面倒な手続きが必要であった。具体的にその手続きについて見てみよう。まず要塞地帯内で撮影するには、前述の「要塞地帯法」(第7条)に基づき、要塞司令官より「撮影許可証」を交付してもらわなければならず、そのために撮影許可願を提出する。この用紙は写真材料店で用意していたが、昭和11年マツヤ商会が司令官宛て提出した「撮影許可願」の書式は次の通りであった。

         津軽要塞地帯内屋外撮影許可願
一、目   的
一、撮影区域  津軽要塞地帯其一中左記制限箇所ヲ除キタル区域
一、制限箇所  一 函館山
一、期   限  自昭和  年  月  日 至昭和  年  月  日
      右許可相成度要塞地帯法施行規則第四条ニ依リ奉願上候也
             昭和  年  月  日
                住所
                   右
                     職業
                            年  月  日生
    津軽要塞司令官        殿

 現存している許可願の「目的」欄には「写真術の研究」、「研究の為め」と記入されている。昭和6年の時のは「撮影許可願」とあって、制限箇所は函館山のほかに「一、海岸線(但シ海岸線中新濱町ヨリ鉄道桟橋及ビ七重濱ヲ経テ上磯町ニ至ル間ハ撮影スル事ヲ得)」と印刷されていることから、昭和初期では場所によっては海岸線の撮影も許されていたことが判る。また昭和12年になると、現住所とあわせて本籍地の記入も必要とされた(同年5月21日発行『日魯函館雑報』第33号)。許可願は2通作成し、返信料と願人宛名書き込みの封筒を同封して要塞司令部宛に郵送してもよく、書類持参で出頭すると即座に許可証は交付してくれた。

撮影許可証
 昭和12年8月、明治32年制定の「軍機保護法」が改正されて撮影許可条件は一層厳しくなったが、同年10月その施行を具体的に示した「軍機保護法施行規則」(昭和12年10月7日陸軍省令第43号)が出された。同規則によると、「撮影許可願」は、最寄の憲兵分隊長または警察署長を経て要塞司令官に3通提出し、同願書に記載される事項は、目的・区域(物件)・撮影方法・使用器具類の名称・日時(期間)・作業場所・員数などで、各項目毎に詳細に記載することが求められている(第4条)。たとえば「使用器具類の名称」とはカメラ名、「日時」には年月日と午前何時まで、「作業場所」は撮影、現像、焼付する場所を何番地までという具合である。
 この許可願も、日米開戦の前年昭和15年12月からは憲兵分隊を経て要塞司令部に提出するように変更され、さらにこれまで発行された撮影許可証の有効期限はその年の12月20日限りで全て無効となった。また従来、新聞、学校、営業写真を除くアマチュアに対しての撮影許可期間は、1年、6か月、3か月で、さらに期限が満了すると延期願いで延長できていたが、翌16年には全て3か月に統一され、許可証の交付も3月31日、6月30日、9月30日、12月31日の年4回の交付に変更された。理由は防諜主旨徹底のためとされた(昭和16年3月9日付「函日」)。さらに翌17年12月からは函館憲兵分隊での撮影許可願の受付は、毎週月曜日のみに限定された(昭和17年12月11日付「道新」)。
 撮影許可条件は年代によって異なる。昭和11年、15年、20年の現存する許可証から条件の変化を見てみる。次表2−207は各年の許可証に記載された撮影許可条件である。
表2−207 昭和11年・15年・20年の写真撮影許可条件
昭和11年5月21日交付の「第737号 函館付近撮影許可証」
一 陸軍防禦営造物下記要図中内ノ地形及其他水陸一帯ノ形状並広地域ニ亘ル地形ノ 撮影、模写又ハ録取スルヲ禁ス
二 屋外ニ於ケル諸般ノモノヲ撮影又ハ模写シタルトキ或ハ地形ニ関シ録取シタルトキハ速ニ之ヲ許可証卜共二当部二提出検閲ヲ受クヘシ
但シ撮影二在リテハ現像ノ上原版若ハ印画一葉ヲ提出スヘシ此際要スレハ将来ノ参考トナス為更ニ印画一葉ノ提出ヲ命スルコトアルヘシ
三 前項ノモノヲ出版、頒布又ハ公示セントスルトキハ其説明ヲ付スルモノハ之ヲ付記シ願書二通ヲ添へ更ニ提出シ検閲ヲ受クヘシ
昭和15年8月14日交付の「第2255号 函館付近撮影許可証」
一 陸軍防禦営造物並下記要図中内ノ地形並其他ノ水陸ノ形状即チ山地、河川、海岸、著名ナル物体、広キ地面及其他地形判断ノ資料トナルベキモノヲ撮影、模写、模造又ハ録取スルコトヲ禁ズ
二 屋外ノ総ベテノモノヲ撮影、模写、模造及録取シタルトキハ其年月日、場所、許可証番号及許可者氏名ヲ記載捺印ノ上速ニ許可証卜共ニ提出検閲ヲ受クベシ
但シ写真ニ在リテハ原版卜印画二枚宛ヲ提出シ検閲後ニ非ザレバ複写及使用又ハ保存或ハ他二譲渡スルヲ禁ズ
三 前項ノモノヲ出版、頒布又ハ公示セントスルトキハ其説明ヲ付スルモノハ之ヲ付記シ願書二通卜共ニ原稿ヲ添へ更ニ検閲ヲ受クベシ
但シ速報(遅クモ其翌日中二掲載スベキモノ)ノ目的ヲ以テ新聞紙ニ掲載スベキモノハ第二条ノ検閲ヲ受ケタルモノニ限り本条前項ノ手続ヲ省略シ適宜ノ箇所ニ年月日津軽要塞司令部検閲済卜明示スベシ
四 本証ハ津軽要塞地帯其一(函館付近)以外ニ於テ使用スルヲ禁ズ
五 本証ニ依り活動写真ノ撮影ヲ禁ズ
六 本証ノ許可月日ニ取扱者印ナキモノハ無効トス
七 本証ノ許可条件ヲ履行セザル者ハ法律上ノ制裁ラ受クルハ勿論爾後許可セズ
昭和20年1月4日交付の「業務用 第54号 撮影許可証」
一 本証ハ津軽要塞地帯以外ニ於テ使用スルヲ禁ズ
二 陸軍防禦造営物及要塞地帯内ノ山地河川海岸著名ナル物体広キ地面其ノ他地形判断ノ資料トナルベキモノ並ニ二十米以上ノ高所ヨリノ撮影模写模造又ハ録取ヲ禁ズ
三 屋外屋内ノモノ総テ撮影模写模造録取シタルモノハ其ノ年月日場所許可証番号及被許可者氏名ヲ記載ノ上速二許可証卜共ニ提出検閲ヲ受クベシ
但シ写真ニ在リテハ原板卜印画各一枚宛ヲ提出シ検閲後ニ在ラザレバ複写及使用又ハ保存或ハ他ニ譲渡スルヲ禁ズ
四 前号ノモノヲ出版頒布又ハ公示セントスルトキハ其ノ説明ヲ付スルモノハ之ヲ付記シ願書三通卜共ニ原稿ヲ添へ更ニ検閲ヲ受クベシ
但シ速報(遅クモ其ノ翌日中ニ掲載スベキモノ)ノ目的ヲ以テ新聞紙ニ掲載スベキモノハ本手続ヲ省略シ紙面適宜ノ箇所ニ「津軽要塞司令部検閲済」ト明示スベシ
五 撮影写真ノ焼増ヲセシ時ハ焼増写真ハ裏面ニ原板検閲年月日許可(承認)証番号及撮影者氏名ヲ記載ノ上頒布スベシ
六 本証ニ依リ映画ノ撮影ヲ禁ズ
七 本証ノ有効期間中撮影模写模造録取セザルトキハ裏面ノ検閲欄ニ其ノ理由ヲ記載 スベシ
八 本証ノ許可条件ヲ履行セザルモノハ法律上ノ制裁ヲ受クルハ勿論爾後許可セズ

検閲済の丸印
 昭和11年交付の許可証に記載されている撮影許可条件は3項目のみで、屋外で撮影し、現像後は、ネガもしくは印画1枚を提出して検閲を受ける。なお営業写真は、第3項が該当するため願書≠キなわち「査閲願」2通と写真を提出しなければならなかった。この頃はまだ書式も定まってなく、1行目に「査閲願」、2行目に「撮影月日時間」「撮影場所の町名番地」「被写体名」「撮影枚数」、3行目「氏名 捺印」である。満州事変の始まる昭和6年頃までは「撮影月日」「被写体名」「撮影枚数」のみでよかったようである。写真を提出して、問題が無ければ、査閲年月日の入った「津軽要塞司令部検閲済」の丸印が青色または紫色で押印されて、写真と査閲願それぞれ各1通が返却された。昭和6年から7年までは、長さ約14センチの次のようなゴム印が押されていた。

昭和  年  月  日 第 號ニ依リ許可
昭和  年  月  日 査閲済
附加條件 絵葉書書籍其他ノ方法ニ依リ他ニ公開若ハ配布セントスルトキハ更ニ願出ヅベシ

 昭和15年では許可条件が7項目と増加し、11年と比較するとより具体的になっている。この年には、屋外撮影した者は営業、個人を問わず、例外なくネガと印画2枚を添えて「査閲願」を出し検閲を受けることが必要となった。
 さらに昭和20年の許可証を見ると、対象が非常に拡大されていることが判る。それだけ撮影制限区域も広くなっているのである。また撮影許可条件の内、高さ20メートル以上の高所からの撮影禁止や屋外のみならず屋内撮影までも検閲の対象になっているが、これらは前述の通り昭和18年8月20日の「撮影禁止事項」施行の時からである。頒布する場合は「査閲願」が3通と増え、焼増の場合は写真の裏面に1枚毎に「撮影年月日時間、場所、許可証番号、撮影者氏名捺印」を記載することが義務づけられ、焼増枚数が多い場合は大変な作業であった。
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