通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 6 写真の流行とその規制 写真コンテスト |
写真コンテスト P924−P926 函館写真倶楽部主催の「第一回写真展」を受け、函館毎日新聞社は初めての写真コンテスト「懸賞素人写真 募集」を行った(大正10年7月29日付「函毎」)。 (題)涼 味 函館写真倶楽部主催の「第二回写真展」の時も、函館毎日新聞社は、写真展を後援するかたわら前年同様に写真募集を行った。課題は「春景」と「坊ちゃん」。結果は応募数150点と昨年より多く、作品の内容も向上した(大正11年5月13日付「函毎」)。
その他のコンテストとしては、蓬莱町のカフェーダイヤ(蓬莱町155佐藤喜一)主催のコンテストがある。個人の主催では、はじめての試みである。 大正10年10月6日と7日の両日、「函館毎日新聞」に掲載された同コンテストの案内広告によると、画題は随意、審査は区内の専門家3氏に依頼し、最高優秀者作品は全紙に引延して店内に掲載し、その他は全部「写真ブック」として店内に備え付けるとなっている。また賞品は時計店の商品券で、1等10円券、2等7円券、3等5円券、4等3円券、5等2円券、以下10等迄1円券1枚ずつであった。 このコンテストの入選者は、1等「海岸の朝」吉田金蔵、2等「初秋」村山禎一、3等「静物」新伴雄、4等「駒ヶ嶽遠景」□□寅太、5等「沼の景」吉住昌、6等「朝霧」村上挑波、7等「夕照帰帆」勝木清美、8等「波紋」浜中達也、9等「木立」棟方政彦、10等「帰リマシヨウ」勝木正美だった(同年11月4日付「函毎」)。 また同10年開店した蓬莱町の三津屋写真器械材料店が、暮れの12月に「第一回ヴヱスト写真懸賞」と超してコンテストを行った。これは、11月に睦屋生駒商店のコンクリート4階建ビルが完成して、4階を写真室にして研究者に開放したり、同じ11月に写真材料専門店のマツヤが恵比須町50番地に開店、写真愛好者に暗室を無料開放して好評を博していたことへの対抗策ともとらえられよう。募集内容(大正10年12月10日付「函毎」)は、器械は「ヴヱストポケットコダック」、画題は「雪の日」、大きさは「ヴヱスト判」(引伸は差支なし)となっている。また賞品は、一等5円商品券1人、二等3円商品券1人、三等2円商品券1人、四等1円50銭商品券□人、五等1円商品券5人、選外佳作ヴエストアルバム各1冊10人となっていた。 昭和になると新聞各社も競って懸賞写真募集を行うなど、写真関係全般に亙り一層活発な動きがでてくる。写真クラブも増加し、丸井呉服店、百貨店の外に図書館、商工会議所、市民館などで次から次と写真展が開催された。市立函館図書館では会場を提供するばかりではなく写真コンテストも開催している。市内および郊外の自然と文化を取材材料とした「函館名勝史蹟懸賞」の募集である(昭和3年1月11日付「函新」)。条件は「グラビヤ印刷絵はがきとして函館紹介の目的たること」、審査員は日本写真会福原信三と掛札功、それに函館教育会会長の斎藤与一郎の3名で、応募規定の中に「必ず要塞司令部許可済なる事」とあるのがいかにも函館らしい。審査員の日本写真会同人の福原は、東京在住の写真家で、当時最もアマチュアに影響を与えた人物である。なお函館在住の日本写真会会員による「芸術写真即売会」も丸井別館で催された(大正15年1月27日付「函毎」)。 また、図書館では同年10月18日から22日の5日間「函館回顧写真展」を開催した。この写真展には、北海道庁および市内旧家秘蔵の明治初年の函館の写真数十枚や函館最初の小学校教科伝習所、船改所、水道創立工事実況、函館公園開園式、ブラキストン、奉行所、回天丸、弁天砲台などの歴史的写真が展示され、今までの作品発表展とは異なる写真展の方向を示したものとして注目された。 |
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