通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 6 写真の流行とその規制 函館カメラ倶楽部と素人写真会 |
函館カメラ倶楽部と素人写真会 P920−P921 今日でいうところの写真クラブは、「写真術の研究を目的」として大正4(1915)年5月発足した「函館カメラ倶楽部」が最初である(大正4年6月13日付「函毎」)。発起人は、田本胤二と田中源三郎。田本は、末広町南部坂の田本写真館館主で、先代繁の子息である。また田中は、大正3年10月30日創業(大正4年『函館商工案内』)の田中時計店店主で、同店では時計のほか写真材料を扱っていた。倶楽部の事務所は田中時計店(音羽町36)に置かれた。第1回撮影会を6月13日(日)大沼方面で行った。同年8月8日田中時計店で開催された第3回例会(課題「夏の日」)には15名が出席、入賞者は1等角田、2等能登川、3・4等梅川、5等小国であった。この「函館カメラ倶楽部」は、翌5年8月13日の田中時計店での例会を最後に活動を絶ってしまった。その後大正9年4月21日に新たな「函館カメラ倶楽部」の発会式が末広町東部事務所で行われた。発起人は金森回生堂と松吉絵葉書店で、毎月第2日曜日午後6時より東部事務所で印画品評会を開催する事とし、審査を池田写真館主池田種之助と加賀谷写真館主加賀谷政太郎に依頼した(大正9年4月21日付「函毎」)。第1回例会は日時と場所を変更して5月23日、海交倶楽部で開かれ、会員約40名から50数点の出品があった。その後例会は回を重ね、10月3日には第1回野外撮影会を本郷(現大野町)駅から大沼にいたる沿道で行った。「同日午前七時まで停車場に参集なし、汽車にて本郷駅に至り、それより札幌街道を大沼に至る沿道を各自撮影なし、大沼公園に至りて中食をなす」(大正9年10月1日付「函毎」)。会員以外でも参加自由だった。要塞地帯撮影禁止区域を考えての撮影地選択である。また大正9年6月発足の岩内写真研究会の求めに応じ、共同で写真の研究も行っている。 一方「函館カメラ倶楽部」発足の翌月、5月8日には「素人写真会」が発足し、第1回印画品評会を末広町東部事務所で行った(大正9年5月6日付「函毎」)。恐らくこの品評会のため「函館カメラ倶楽部」の第1回例会が5月13日になったものと思われる。6月20日に第2回例会を行い(出席30数名。作品100点。松田、伊藤、武藤氏が入賞)、審査終了後に加賀谷、菊地、石川の各写真館主から写真についての説明を聞いた。 この時期、アマチュアを育成するために、営業写真館主や写真材料店主らが色々な面で彼らの活動に協力していたことがうかがわれる。 |
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