通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

4 社会問題・社会事業
2 関東大震災と函館

避難者の来道

避難者の救護

「震災救護概況」

「風評」

社会的影響

経済的影響

「風評」   P809−P810


桟橋で警戒にあたる警官(大正12年9月5日付け「函日」)
 市民の「同情心」の高まりは、注目すべきものであったが、このような高まりを、全く異質な方向へ導きそうな風評も東京方面からいち早く伝って来ていた。災害地で朝鮮人が放火、毒薬撒布などの暴挙をおこない、団体をなしての暴動も各地でおこされている、それを軍隊が出動し、あるいは自警団が活動し、鎮圧(虐殺の様子を伝えるものなど)している、という新聞記事は、9月2日から、くりかえしみられるようになる。
 自警団などの無秩序な対朝鮮人暴虐行為の方が問題があったわけで、朝鮮人の暴挙というのは「風説にすぎない」という警保局長の談話が伝えられたり(9月6日付「函新」)、緊急勅令で流言蜚語取締令(9月6日付)が発布されたことも伝えられる(8日付「函新」)のであるが、一方では、連絡船で本州方面へ向う朝鮮人がいれば抑えようと水上警察が多忙であるとか、カムチャツカ漁場から引上げてくる朝鮮人漁夫たちが多数、函館にもどる時期にあたっているのでみだりに「敵視」したりしないで気を付けるようにとか、函館に入ってくる朝鮮人は追いかえせ、という「説」があるようだが「親切」のほうが重要なのだという「方寸」欄の記事(「函新」)が見えたり、市内青柳町あたりを歩いていたらジロジロ見られ、朝鮮人と見誤まられているとわかり不愉快な思いをしたという投書などの新聞記事は、函館市民の対朝鮮人感情にも危ういものがみられていた様子をしめしている。
 しかし、市内在住朝鮮人の義捐金募集活動の様子や、北鮮労働組合の代表が函館日日新聞社を訪れ、20円を義捐金として寄托した、あるいは、朝鮮人失業者の就職紹介に警察署長が奔走し、港湾作業などに100人を就業させることができた、というニュースがあって、函館市内で、朝鮮人に関係して、重大な事件などのなかった様子も知られる(9月中は「函新」、「函日」)。
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