通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 4 社会問題・社会事業 「震災救護概況」 |
「震災救援概況」 P807−P809 市会議員協議会が、9月20日現在でまとめた「震災救援概況」(9月22日付「函新」)は次のとおりであった。1、9月2日の議会協議会では、東京、横浜両市罹災者への食料の急送、義捐金募集を決定し、直ちに委員1041人を委嘱し、「大活動」に入る。9月20日までの募金総額9万1483円85銭(5町の衛生組合の分が未受納)、衣類、食糧など数百点も受納されている。 1、東京、横浜両市への食糧寄贈は、市書記1名、仲仕6名が郵船会社の讃岐丸に乗り組み、6日未明出帆した。輸送したのは、するめ(12貫匁入350袋)、身欠にしん(10貫匁入90俵)、金額にして1万35円42銭だった。9日正午に横浜に入港したが荷役不能で困惑、海軍の援助が得られたので11、12日の2日をかけて、両市への寄贈を終えることができた。 1、救済事務委員会を設け、委員長の伊藤助役ほか30名の委員で、義捐金品の取扱、旅行証明、在京者捜索、避難者慰籍などの諸事務を担当した。 1、避難者慰籍の状況は以下のとおりであった。20日の来函者、総数8837人(中継者6518人、函館入市者2319人)。桟橋待合室にて麦茶、弁当を給し(弁当給与数9931個−出発列車の時刻により2食給与となる場合があって総人数より多い個数になっているという)、各種団体より寄贈の味噌汁、おでん、パン、牛乳、菓子、手拭、衣類、履物、慰問袋、新聞などを給与、入市者へは、無料電車券、無料入浴券を配り、また婦人に対する結髪のサービスも行い、「殆ど遺憾なき情態」で接待できた。 1、各種団体の活動、医師会、薬剤師会、愛国婦人会、赤十字社、学生会、キリスト教団、在郷軍人会、新聞社、仏教団、東部料理組合、飲食店組合、開発自警団、婦人理髪保健組合、各見番婦人などの各団体有志は、早朝から深夜にいたるまで、下船乗車の老幼者への世話、電報の発信、医療投薬、行先案内、就職案内、無料宿泊、人事相談などに活動した。 1、宿泊、職業紹介の状況 収容・宿泊人員 函館慈恵院 441人 函館無料宿泊所 482人 市役所などでの職業紹介の人員 219人 桟橋にて医師会救療班の治療した人員(原記事に人員数の記入なし) 1、救護団体派遣 医師会の医師3人、看護婦3人、事務員1人の救護団は、6日出発し、救急の任務を果し、19日、帰函した。 在郷軍人会、市吏員で編成した救護、捜索のための救護団(20名)は、8日出発し、20日現在、任務に従事中である。 この間に、「函館は餘り優遇過ぎると道庁曰ふ」というニュースが伝えられたりした(9月10日付「函日」)。函館では1食20銭位の弁当を出しているが、15銭位でよいのではないか、愛国婦人会で50銭ずつ支給しているというのも「以ての外である」、避難者に「依頼心」を起させて「面白くない傾向に導く」からであると「道庁当局者」が「意嚮」をもらしているというのである。このような「意嚮」のせいか、前述の市会議員協議会でまとめた救護活動のうちには、各種団体の活動の項でも、愛国婦人会の「五〇銭」について全く触れられていないのである(この「五〇銭」支給は、13日まで続けられ、手拭などとあわせて約2000円の支出となり、愛国婦人会の義捐募金で負担、残額3000円程あったが、市の募金へ引き継ぎ、使途なども市に一任された。13日付でまとめた寄附金収支報告も、新聞広告され、これによると「五〇銭」支給は「三三三〇袋」で、1665円であった(9月15日付「函毎」)。この道庁の 「意嚮」は、不評で、「一般有志家」は、市民の「同情心の発露を阻止する」ものだと、「憤慨」していたという。 |
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