通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 4 社会問題・社会事業 北海道での米騒動 |
北海道での米騒動 P787−P790 大正7(1918)年には、年頭からロシア革命への武力干渉の動きがはっきりして来た。イギリスは、ウラジオストクへの共同出兵を要請して来たし、日本政府は、それに応じて、居留民保護を名目に、軍艦2隻をウラジオストクに派遣した(1月12日)。4月には日英陸戦隊がウラジオストクへ上陸、6月〜7月のイギリス、アメリカのシベリア出兵要請に応えて、日本政府は、8月2日、シベリア出兵を宣言するにいたる。戦争相場を意識した米価の騰貴も年頭から目立っていた。1月中に、暴利取締令にもとづいて、三重県の米穀業者が戒告処分をうける(この法令による最初の戒告という)。1月28、29日と各地で暴騰を処理し切れずに、米穀取引所が休業する事態となっている。 函館でも、年頭から「滑川三等白米廿五円八十五銭ト頗ル強硬」にはじまり(『大正七年函館商業会議所年報』−函館の米相場概況はこの『年報』による、米相場は、1石=150キロ当りの卸売価格)、2月中旬には、鰊場行の出漁準備で出荷がすすむと30円50銭となり、4月中旬、千島、樺太方面の出漁準備の時期には、31円10銭となる。「青田ホメ」(稲の生育がよく、豊作の見込)が目立って大阪で暴落の様子が見られたが、函館では、下落することなく、そのうちに暴風雨の被害が各地から伝えられ「沸騰」の状況となり、8月3日には、47円50銭の取引さえ行なわれることとなった。この頃、函館の米の小売価格は1升、50銭にまで騰貴したのである。 この間に、7月23日、富山県魚津町での漁民の妻女たちによる米穀県外積出し反対の示威行動がきっかけとなって、富山県内や岡山県内などで、移出反対、廉売要求の示威行動は拡大し、輸送米抑留の実力行動もみられるようになる。8月10日の京都の「騒動」は、怨嗟のまとの米店の襲撃がおこなわれ」1升、30銭の販売をさせ、これを期に京都市内各所で襲撃事件が繰り替えされ、巡査部長らのとりなしで値下げ販売がおこなわれるようになっている。「騒動」が米の安売りに直結する実例は、新聞記事や伝聞で急速に各地に拡がっていった。『米騒動の研究』第5巻(井上清・渡辺徹編、昭和37年)によれば、このパターンでの「騒動」の拡大は、表2−187のとおりであった。8月の15、16日には、宮城県下、仙台市、石巻町にまで及んで来ていたことになる。 前出『米騒動の研究』によれば、7月23日から9月13日の間に、全国の436市町村(「騒動」のくりかえされたところも、1か所として数えている)で、「暴動・示威」、「群衆」などの「騒動」が起きているが、この『研究』で、全く「騒動」の記録のない県が、青森、岩手、秋田、栃木、沖縄の5県となっている。
沼貝鉱山の「騒動」−9月6日、沼貝村(現在の美唄市)の鉱山で坑夫200人が、賃金5割増を要求して鉱業所へ押しかけ、容れられないと、ガラス戸、板壁などを破壊し、米1俵、酒1樽、缶詰50個などを奪い取った。この事件で34名が起訴され、検事論告では、米価暴騰の結果でもなく、生活に窮していたわけでもない。ただ九州の暴動に影響され、「一時の流行的発作」にすぎないもので、何の理由もなく5割の賃上げを要求するとは不法である、とされた。弁護側は、生命の危険を伴う労働に対して十分とはいえない賃金の引上げを要求する理由はある、鉱長の態度にも問題があり、坑夫たちが反感を持ったのだ、と争ったが、34名、全員有罪懲役5年から5か月の刑とされた。 函館市の怪火−8月18日、午前4時半頃、元町の鈴木商店支店長宅から出火、強風のもとに火勢が強かったが、豪雨の折でもあり、消防夫の活動もあって、物置と便所を焼いたのみで消火できた。原因は放火にちがいないと思われており、米騒動とも関係あるかの如く取沙汰されているが真偽は不明(この項は8月20日付「四国民報」によっている)。 小樽毎夕新聞筆禍事件−同新聞の編集員と小樽高商学生が、9月20日付同紙上に、社会主義者の検挙などより窮民の敵である巨商豪富の罪を探求せよ、との文を載せ、米騒動を肯定、煽動する新聞紙法違反(安寧秩序をみだす)とされた事件。小樽区裁判所では無罪とされたが、検事控訴により、大審院まで争うこととなり、結局、罰金50円から40円が確定することとなった。 騒動ニュースの無料配付未遂−「北海時報」の発行人(発行地の記載なし)が、各地の騒動事件を載せた新聞を、自動車で一般公衆に無料配付しようと計画したが、警察に注意されて中止した。 北海道については以上の程度の記録がみられるにすぎないことから、『新撰北海道史』『新北海道史』のような大部の通史叙述のなかでも、米騒動については触れられていない。前記の沼貝鉱山の「騒動」については、『北海道警察史(一)明治・大正編』(北海道警察本部、昭和43年)が、大正期の事件・事故を扱う節で、また『美唄市百年史』通史編(美唄市、平成3年)が炭鉱の開発と発展を扱う節でそれぞれ触れているのがみられる程度である。 |
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