通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

4 社会問題・社会事業
1 米騒動の函館への波及

北海道での米騒動

市内の米価騰貴

伝えられる「騒動」

富豪の拠金と廉売

廉売の継続

廉売販米の中止

廉売の問題点

伝えられる 「騒動」   P792−P793

 8月14、15日の新聞紙上には、「米暴動激甚」のニュースが2段抜きの記事で目立つようになる。全国各地へ「騒動」が、広汎に、かつ激しく拡大している時期の状況が、函館にも具体的に伝えられて来たのである。

(左:大正7年8月14日付「函毎」)
(右:大正7年8月15日付「函毎」)

騒動を伝える新聞記事

○神戸では、鈴木商店、神戸新聞、神戸製鋼所、鈴木別邸が焼き払われ、市内一五〇〇軒の米屋が悉く破壊された。一升、二五銭の安売りを約束するところも出て来た。
○名古屋では、警官派出所六ヵ所、米屋一〇か所が破壊され、数ヵ所の放火があった。
○大阪の住吉では、竹槍をもった群衆が、警察を包囲して、十三日来の検束者を釈放せよ、と要求している。
○金沢市暴徒は、八幡社に集結、演説ののち市中へ出て、三〇〇〇人余の群衆となり、米商、米所有者を各戸に、歴訪、膝詰談判をおこなって、十三日から、一升三五銭で売ることを約束させる。
○舞鶴では、海軍工廠の職工ら二〇〇〇人も市内の米屋を襲撃、軍隊も出動、負傷者も続出し、町内は大混乱。
○静岡では、数百名が、米屋を襲撃、警察官二名が重傷、「殺気縦横」の様子。
○福島では、数千の群衆が、中央公園に集結、市内米穀商を襲撃する形成をみせる。
○堺市では、市内、八方で蜂起、夜に入ると、米商の襲撃がはじまり、軍隊も出動、群衆と対峠となるが「気勢猛烈」の様子。

 以上のような「米暴動激甚」の様子とともに、「各地富豪義金醸出」(8月14日付「函毎」)、「御内帑金分配決定」(8月16日付同前)、「三井、岩崎両家寄附」(同前)という記事がみられる。藤田、住友、久原がそれぞれ20万円を、日本銀行が3万5000円、三井、岩崎が10万円ずつ寄付した。三井、岩崎は、ほかに「白米廉米資金」として、内務省へ100万円ずつを寄付すると申し出た。「御内帑金」(天皇よりの下賜の金額)の総額300万円のうち、北海道への配分が9万9000円と決定した、という内容のものである。財閥系の有力大富豪や、天皇からの資金が大量に用意されて米の廉売など、救済策が適切におこなわれることになるという民心安定策としての報道ということである。「御内帑金分配決定」、「三井岩崎両家寄附」のすぐ次には「暴騰記事掲載禁止」の記事も載せられた。8月14日、内務大臣が、米価高騰、それに伴う各地の「騒動」を新聞に掲載することの禁止を発表、「各地の暴動、手に取る如く報ぜられ、写真、大活動の使用により社会人心を唆(そそ)る」ことを恐れるとした。
 しかし、「函館毎日新聞」は、8月19日、米騒動記事解禁のニュースが伝わるとすぐに「各地暴動蔓筵」などの記事をのせている。「騒動」の状況への関心が、函館の市民の間でも高かったことのあらわれであろう。
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