通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 4 国鉄青函連絡船、比羅夫丸の登場 国鉄職員の給与 |
国鉄職員の給与 P526−P528 では、この組織に働く職員の給与はどうか。大正12年の1人平均給料月額を見ると、意外に低い。飛び抜けて高いのは、高等官の3つの機関の長、船長、機関長、および技師(技術部門)だけである。運輸事務所長341円、保線事務所長225円、五稜郭工場長241.6円、船舶機関長の技師200円、船長(技師)212円。函館運輸事務所管内34人の駅長の月給平均88.5円(すべて書記、判任官)、連絡船船長は、技師(奏任官2人)が212.5円と飛び抜けて高いが、最も多いのは判任官の技手8人で、平均101.6円と半分である。船長にもその下の雇員身分が2人もいて、平均90.6円。技術部門が事務部門よりやや高い。判任官(書記・技手)クラスで、70〜80円、雇で50〜60円台、傭人が40〜50円台。女性はその半分の20〜30円台と徹底的に差別待遇をされている。給仕を勤める少年がこれに準ずる。代表的な1人平均月額をピックアップしてみる(表2−98)。国鉄労働力の主力が雇傭人で、その給与月額は30円〜70円台に分布するが、駅手の33.2円、貨物駅手53.4円、水夫39.5円、火夫36.2円、保線工手50円と30〜50円が多い。 ちなみに、昭和初期の1人平均給与月額を示す資料が、函館運輸事務所の発行した『要覧』に見られる(表2−99)。運輸事務所以外の資料は、残念ながら、入手できない。これによると、総人員2362人となっており、大正12年の総人員2421人より59人少ない。大正12年から丁度10年後の昭和8年、陸の王者となった北海道最大の巨大組織国鉄の職員数は、現状維持どころか、かえって少ない人数となっているのである。労働生産力が向上したと評すべきであろう。 それに反し、1人平均給与月額は、運輸事務所管内だけとると、大正12年1人平均男50.6円、女29.9円から、56.4円と、やや上がってはいるものの、停滞している。身分制は、男女別、月給日給別、傭人の種別など、かえって厳しくさえなっている。女であることが「身分」の一部となっている。 以上みてきたように、ピラミッド型身分制が徹底しているが、数の多い職種の多くが、身分が最低の傭人で、民間工場のブルーカラー労働者なみである。それだからこそ、福利厚生施設、官舎を充実させて、給与補完をせねばならなかったのであろう。とても特権階級に属する給料ではない。これだけの男子労働者の大集団であるから、この低賃金で、おさまるはずがない。国鉄大家族主義は、労働組合結成、スト発生を防ぐ役割をしたはずである。それでも当時の国鉄職員が団結し、特権意識を持ち、自分の仕事に誇りを持っていたことに間違いはない。 丁度、現在の日本のサラリーマン、ブルーカラーの多くが、低い給料でいながら、中流意識を抱いているのに、似ている。ともあれ戦後の日本型労務管理の原型をこの国鉄にみることができる。
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