通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 1 工業界の概況 工場数、工業会社数 |
ここでは大正10年から昭和5年までの、1920年代の工業の状況を述べる。 工場数、工業会社数 P429−P430 表2−52では、大正12年から工場数が半減しているが、これは注記にある通り、10、11年は職工5人以下(未満)の工場でも、動力使用の工場は含まれているからである。5人以上の工場数の推移をみると、昭和5年までゆるやかながら増加している。次に5人以下の工場数について表2−53をみると、大正14年から昭和3年まで判明しているが、5百数十工場である。 しかし、5人以上と5人以下を合計したものが、表2−53の全工場数とはならず、このほかに2000近くの工場があって、2千数百の全工場数となることがわかるのである。これらの工場は動力を使用せず、工場というより工業を職業とする戸数と考えた方がよいと思われる。
ところで、当時の工場数の動きについて、注目すべき記事がある。「不景気の影響で官公衙銀行会社商店では一斉に縮少々々と切詰主義をとり、整理といふ名のもとに馘首の大鉈を揮つたため、生活に困る就職口がないといふ悲痛な叫びをする失職者の群は次第に多くなつてゆくが、それは知識階級と誇る俸給生活者であつたものが大部分を占め、職工や一般労働者で失職の悲哀を嘆するものは割合に少く、殊に職工は昨年の春に比較すると朝近は求める者が非常に殖えて来た、市内大小各種工場で…約七百三十人増加してゐる、船渠を初め各所の造船所は海運界の不況で漸次職工を減らす方針をとつてゐるが、其他種々の小規模の工業は毎月増加して来るので勢い職工の数も殖えたのであるが…」(大正12年1月20日付「函毎」)続けて見出しだけを紹介すると、「工業界は最近めきめきと勃興、工場数は約三千、食料品工場が第一位で、次は製材・木製品工場、小中工業が多い」(昭和2年1月13日付「函新」)とあって、この記事の内容は表2−53で示した大正14年の全工場数の業種分析となっている。 また一方で、会社形態も割合は少ないが増加している。昭和元年の市内全会社数199社のうち工業会社は45社であるが、昭和5年市内254社のうち工業会社は62社となっている。そのうち、食料品工業の14社が19社へ、機械器具工業の7社が9社へ、製材・木製品工業の4社が12社へと増加している。 工場の創設年次を市統計でみると、大正14年現在の201工場のうち、大正元年から14年までに創立した工場が60%を占めているが、昭和5年現在の244工場では、大正年間に創立の工場が54%とやはり主力となっている。ちなみに、昭和元年から5年までに創立の工場は12%であった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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