通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業
3 工業化の進展

1 工業界の概況

工場数、工業会社数

職工数

電力の需要・供給状況

生産額(品目別、業種別)

物価の動向

市民所得に占める工業の地位

職工数   P431−P432

 この期間の5人以上の工場の職工数は4千人を若干上回って推移している。これに5人以下の工場の職工数約2千人を含めると、6千人から7千人に近い人数となる。国勢調査による職業別の工業人口をみると、大正9年に工業本業人口が1万3709人、昭和5年では1万6388人であるから、大正9年の現住人口14万5千人との対比では9.5%、昭和5年の現住人口19万7千人との対比では8.3%となる。
 この比率は商業人口の比率より低いにしても、かなり高い。これは、業種別にみて、食料品工業や木製品工業、また糸縷布帛工業に多数の零細工場が存在していたことを示すのであろうが、函館の労働市場の特質を次の記事で読みとることができる。
 「函館市は近時商工業が異常に勃興して来たので、従つて工場労働者の数も年々増加の傾向あるが、函館署高等課の調査に依る最近統計に依れば、昨年十一月末日現在工場労働者を大多数使役してゐるのは浅野セメントの九百六十三名、ドック会社の六百三十五名を最多とし、其他男三千三百十四名、女七百八十六名で、浜稼ぎ漁夫等の自由労働者は男五千三百九十二人、女一千二百二十五名であるが、本年十一月末日現在は浅野セメント九百四十名、ドック会社が六百五十名、其他一般工場労働は男が三千五百三十九人、女が八百七十三人合計四千四百十二人で工場労働者にては昨年より約三百人ばかり増加し、自由労働者は男九千三百二十四名、女四千三百七十六人合計一万三千七百名といふから昨年の倍数の増加であるとは驚くべきである」(大正15年12月19日付「函新」)とあって、浜稼ぎ漁夫等の多数の自由労働者が、時期によっては、浮動的工場労働者と転化することもあろうから、国勢調査にあらわれる工業人口が過大とはいえないのである。
 しかし、自由労働者と工場労働者の関連について次の指摘がある。
 「函館市臨時的自由労働者は工場労働者に比し比較的多く…常時労務者を得ること容易ならざるものの如く観察せらるるは…某工場主の直話として聞知せるは冬期は男八十銭にて応募者あれど、漁場出稼時期は募集極めて困難にして賃金も高しと、之は漁場出稼は前金払なると所謂九一なる制度ありて漁期終了の際、其漁況に応し多少の給与あり…為に工場労務者にして尚且漁場出稼に転するものさいあり、工場経営者として極めて不安なりと云ふべし、之等の傾向は男工のみならず女工も同一にして、工場労務者募集上の一大難関なり。又函館港は荷積荷卸に岸壁の設備を欠くため、所謂仲仕労働者多く彼等労働分配不均一なるため、勢ひ賃金を高くして総収入に於て均衡を保つ状況なれば、之等の自由労働且非時間的労働が一般的となり、工場労働の如きものも一般が嫌ふ風あり」(昭和3年11月3日付「函毎」)と述べて函館が工業地として発展する上での一大暗礁としながらも、将来の工場の増加と港湾設備の完成とともに自然に工場労務者の募集が支障を来さなくなるだろうと結んでいる。
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