通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第1章 露両漁業基地の幕開け 営業税納付額などにみる工業の地位 |
営業税納付額などにみる工業の地位 P96−P97 次に、営業税の納税状況が大正2年まで公表されているので、これを表1−28にまとめた。表1−27(→営業者種類別にみる工業の比重)の工業家戸数合計の4割弱が納税している。一方、狭い意味の商業家の納税人員は商業家戸数の約5〜6割であるから、非課税とされた零細な家内工業戸数の割合が商業より高いのである。ただし、納税額の1人平均負担額を製造業と物品販売業(課税の最低限は1か年の売上金額1000円である)とで比較すると、製造業が各年100円であるのに対して、物品販売業は70円という違いをみせている。そして、区内の商工業者が納付する営業税合計額が明治38年以後、20万円弱であるうち、製造業がその約10%を、物品販売業が50%弱を負担している。ところで、営業税の課税標準は資本金額、建物賃貸価格、従業者数のように表面にあらわれた外標であり、前年の実績により決定されたのに対して、納税者の内面に立ち入る所得税(第3種・個人)では工業の地位は至って低い。大正6年の区内の個人所得額489万円のうち、商業が277万円に対し、工業は8万円にすぎない(大正7年2月19日付「函新」)。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ |