通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第2節 商工業の進展と海運・漁業の展開
2 函館工業の近代化への途
1 工業化への道程

工業とは−製造場と職工と−

営業者種類別にみる工業の比重

営業税納付額などにみる工業の地位

家内工業の動力化

驚く工業生産額の伸び

 昭和62年刊行の『函館市史』統計史料編の解説に、「戦前の工業統計については、統一的なものはない。工業史として函館を見た場合、造船業および鉄工業は幕末までさかのぼることのできる歴史を持っているが、戦前の工業構造は残念ながら統計的にその全容を知る手掛がりに欠けている。」とあるが、この点に留意しながらできる限り統計資料を利用して、この時期の工業を述べよう。
 この時期も造船業と鉄工業が中心であるが、諸工業の説明に使用する『函館区・市統計』および『函館商業・商工会議所年報』の資料については、その調査方法が掲げられていないこともあって、年次間の整合性を示すことが困難な場合が多い。以下では、これらの資料に『北海道統計書』なども加えて説明を進めていくことにする。

工業とは−製造場と職工と−   P93−P95

 表1−25は明治30年から施行された国税である営業税を、さらに北海道地方税として区内の商工業に賦課する場合に、『工業』をどう概念したかを示す資料である。そこでは、職業が工業である職工を第2種に分類し、これを4類に等級づけをする。そして、第1類は「営業税ヲ課スヘキ製造業ハ一定ノ製造場ヲ設ケ職工労役者ヲ使役シテ物品ヲ製造シ……」(営業税法第4条)と規定した製造場であって、1等地から5等地にわけて課税額を定めている。さらに「資本金額五百円未満ノ者又ハ職工労役者ヲ通シテ二人以上ヲ使用セサル者ニハ営業税ヲ課セス」(営業税法第4条)と課税の最低限を規定している。ここから本業者1人の製造場や職工2人以下を使用する零細な家内工業の存在を知ることができる。
 また、営業税法上で製造業と見なしている業種には、ガス・電気供給業、器物・器械の修理業、穀物の搗碎業、染物・洗濯業がある。そして、印刷業、写真業にも製造業と同一の課税基準が適用されている。職工の中には、料理、理髪、提灯張、炭焼などが含まれているように、工業の範囲は広いものであった。「工業統計規則」(明治42年農商務省制定)が整備されるにしたがって、製造業が工業となるのである。
 表1−26に、第2種4類の分類による明治41年4月末の職工数を掲げた。合計で2115人である。前年の40年1月末の職工数では2949人(『函館区統計』)であった。また、調査方法が異なるが、明治43年12月末の人口職業別調査(『北海道庁統計書』)によると、製造業を本業とする者は911人、その使用人は1281人である。そして、職工は2421人、これらの職工が使用する使用人は1647人となっている。この4者を合計した広い意味の工業従業者は6260人となり、明治43年の函館区現住人口の6.8パーセントに相当している。
 なお、明治40年、41年、43年の職工種類の中で人数の多いものは、大工、木挽、鉄工、石工、左官、鍛冶である。これらの職工の中から製造場を設け、営業する工場主が現われてくる例は、「大正初期の木材工場の主人はほとんど木挽の出身であった」(『函館木材業界史」函館木材協会)という製材業以外にも多かった。
表1−26 工業種類および職工数(明治41年4月末現在)
種類
従業者数
種類
従業者数
種類
従業者数
種類
従業者数
寫真
鼈甲
鋳物

木挽
杜氏
表具
鐡工
ペンキ塗
乗馬具
屋根葺
針金細工
研師
ラム子
燐寸
2
2
17
50
204
8
21
90
2
4
31
2
1
1
2
時計
彫刻

塗物
鍛冶
印刷
木履
染物
菓子
象眼
理髪
西洋洗濯
綿打
竹細工

14
5
30
10
93
49
22
4
15
1
18
7
5
7

三味線
縫箔
指物
畳刺
仕立
左官

陶器
轆轤細工
曲物
桐油合羽
油搾
紙漉

9
1
28
26
34
35
31
2
1
2
3
8
1
8
造花
洋服
建具
大工
石工

硝子
煉瓦工
帽子
料理
ブリキ細工
製本
蝙融傘
提灯張

2
42
50
977
72
1
3
12
1
10
19
7
2
10
明治41年『函館区統計』による。
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