通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 家内工業の動力化 |
家内工業の動力化 P97−P99 明治29年、火力発電の設備で開業した函館電灯所は、大沼湖を利用する水力発電を目的として、明治39年に創立された渡島水電株式会社に、翌40年、40万円で買収された。41年には、渡島水電(株)は社名を函館水電株式会社と改称している。北海道では第3番目の水力発電である大沼第一発電所は明治41年8月より送電を開始した。家庭用電灯の需要は次第に伸びるが、工業用の電力需要は明治末期の商工業の低迷を反映して、上磯の北海道セメント会社(951馬力)以外は低滞していた。また水電会社は明治44年に函館馬車鉄道株式会社を7万5000円で買収し、それまでの馬車軌道を電力を利用しての電気軌道に変更した。北海道で最初の電車が大正2年、東雲町−湯ノ川間を走行している。区内の乗客は多く、運輸事業は好調であった。大正2年には、函館船渠鰍ヨの電力供給がはじまったが、この頃からまた区内の家内小工場の動力需要が動きだした。表1−29と「函館毎日新聞」がその状況を示している。 近来区内に於ける家内小工業は逐年増加発達の傾向あるは喜ぶべきことにして、一般工業の促進上益々奨励すべきものなるが、其原動力は主として水電会社より一馬力に付一ヶ月十円以下の低廉なる電動力の供給を受けつヽあるものなり。而して此等の小工業の発達と電動力の利用は密接の関係ありて、即ち電力利用による電動機の利益は起業費経済的なると小形にて場所を取らず、人家稠密の場所にも据付けられ、回転は整一にて振動音響共に微少なる点に於て諸般機械工業に最適の動力たるは言を俟たざれば、石油発動機又は蒸汽汽缶等を有せる工場も漸次電動力に変更しつヽあり。従て其生産品は以前に比し低廉にて市場に販布されつヽあるなり。 鉄工業や製材業で電力の導入がややおくれたのは、次のような事情もあった。 然れども蒸汽機関を設備し現に使用するものにありては、電気力を使用するが為に更に工場の設計を変更し、従来の機関を廃物に帰せしむるは経営上至大の影響あり。加之中には工場財産として之を資金融通の用に供せるものなきに非ず。各種事情を惰力の支配する処となり、其変更を躊躇するものヽ如く、又彼の製材工場の如きは、鋸屑木屑の整理を兼ね之を燃料として使用するか故に、依然蒸汽力に頼るを以て、却て得策とするものあるべし |
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