通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 3 外国貿易の様相 飛躍的な輸出増の波 |
飛躍的な輸出増の波 P357−P360
昭和8年以降は日本の景気回復とあわせて函館港の輸出は激増の一途をたどった。とりわけイギリス向けが大半の缶詰輸出が函館の輸出額を大幅に増加させ、輸出総額の70%以上を占めた。これらの背景には露領漁業を経営する大手会社の大合同、母船式鮭鱒漁業の発展、北千島鮭鱒漁業の進展といった生産側の規模拡大と日本の金本位制停止による為替相場の下落により円安となり輸出環境が優位になったことがあげられる(表2−32)。 また7年の日満経済ブロックの形成以降、満州向けの輸出が増加しはじめる。満州への直接輸出のほかに、満州への中継地であった関東州への輸出が大きく伸びている。なお函館市は昭和期に入ると貿易振興、市場拡大を目指して地域経済界の協力のもとにさまざまな対策に乗り出すが、その顕著なものに、経済視察団の派遣と海上見本市船の運航とがあげられる。こうした動きを表2−33にまとめたが、満州、朝鮮、東南アジアといった新市場への関心が強いことがみてとれる。またかつての函館の貿易の中枢をなす対中貿易は、12年に日中戦争が勃発すると中国南部・中部への販路が断たれたため会議所が中心となり北部への市場の開拓を集中させ販路の回復等に尽力し、その対策の1つとして「北支直通航路ノ開設方ヲ陳情」するとともに南京の新政権に対する対策を練り、所員を派遣し中国中部や南部の経済視察を行っている(昭和13年度『函館商工会議所事業成績報告書』)。なお、円ブロックにおける函館の貿易は10〜20%(『北海道対円ブロック貿易統計』)を推移しており、全国的な貿易傾向からみるとやや異質な点を持っていたが、それは缶詰主体の貿易港という面が強かったからにほかならない。
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