通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第4節 明治末期函館の教育界
4 実業教育

井上文政と実業学校令

函館商業学校

独立後の商業学校

函館商船学校

実業補習学校

商業補習学校と工業補習学校

商業補習学校と工業補習学校   P214−P215

 こうした道庁の推進策に沿って、函館では明治36年、函館商業学校に商業補習学校が付設され、私立一貫尋常小学校内に私立一貫商業補習学校が設立された。前者は、函館商業学校長神山和雄個人の経営によるものであったが、商家の子弟を対象に、授業料は徴収せず、薪炭油代のみを徴収していた。同校は「明治三十六年本道学事の状況」によれば、「函館商業学校に簡易なる実業補習の夜学を試みて其の模範を示し」たといわれ、翌37年夏、道庁において開催された学事主任会議では、「函館商業学校長の商業補習学校の状況に就ての演説」が行われたという(『北海道教育雑誌』第140号)。模範校たる所以である。同校はその後庁立に移管された。

工業補習学校が入った住吉小学校(『函工五十年史』)
 その他、函館では明治40年の大火後に、「工業立市」の方針のもとに高等工業学校を設立すべしとの世論が高まり、文部省への陳情も行われたが、函館に高等工業学校を設立するのは、工業の発達の未熟なこの時期には時期尚早であり、まず工業補習学校を設立し、工業学校、高等工業学校へと進めるべきであるとする東京高等工業学校校長手島精一の助言を受け入れる方向に沿って、明治44年2月に道庁の認可を得、3月26日付函館区告示第41号により、学則を定め、5月15日、工業補習学校が開校式を挙行している(函館市立商工青年学校『二十五年史』)。
 実業補習学校は全国的に農業補習学校を中心に普及しており、本道でも農業補習学校が多数を占めていた。その中で、函館では商業補習学校および工業補習学校を中心として実業補習学校が組織されていったところに、その地域的特質が現れているといえる。
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