通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 実業補習学校 |
実業補習学校 P212−P214 実業補習学校は、明治23年の「小学校令」にその名称が現れたが、実際に具体化することはなく、同26年に文部省令第16号「実業補習学校規程」が公布されて、修身、読書、習字、算術など初等教育の補習と工業、商業、農業などに関して、簡易な実業教育を施す修業年限3年以内の実業補習学校が、実質的な発足をした。人民の実業上の知識技能こそ産業の近代化の前提であるとする井上文部大臣の施策の一環として制度化されたものである。ところが、実業補習学校はそれほどの進展をみなかったため、同35年1月には、文部省令第1号による実業補習学校規程の改正が行われ、修業年限、教授時数など規定の緩和がはかられ、自由裁量の幅が広がった。それ以後、実業補習学校は、産業の発展もあってその数を伸ばし、明治末期から大正期にかけて発展期を迎えることとなった。本道における実業補習学校は、明治29年に農業補習学校2校、同30年に水産補習学校1校、さらに同31年に農業補習学校が1校設置されたのが早い事例である。全国の動きと同様に農業補習学校が中心となっていたことが分かるが、その数はその後減少を示し、同35年には農業補習学校1校を残すのみとなっている。同35年の省令改正に伴い、道庁は、同年9月に訓令第112号によって、実業補習学校の施設方法に関する注意事項を示して普及を図っている(『北海道教育沿革誌』、『北海道教育史』全道編3)。同訓令は、第1に「設置の目的」に関して、「実業ノ教科ヲ主脳トシ併セテ普通教育ノ補習ヲ為スヲ本旨トスル」こと、同時に生徒各自の志望と学力に応じ、適切の教育を施すことを掲げている。第2に「設備」について、経済的に経営する必要があり、なるべく小学校その他の学校に付設すること、土地の状況により巡回教授の方法を採ること、機械器具標本は十分な整備が必要であるから、篤志家の寄付もしくは貸与、教員生徒の自作の方法を採ることなどを提示している。第3に「学級編制」に関して、年齢14歳を境とし、長幼、職業、男女により区別して編制することをあげる。第4に、「教科」に関しては、各教科を通じて徳性涵養に努めること、実業に関する科目は、土地の情況に応じて、その職業に適切なものを選定すること、また実業に関する教科目は家庭工場商店において、生徒の習得し得ない知識技能を授けることを提言する。第5に、「教授の時間及び季節」に関して、夜間、日曜日、職業上の休業日、冬期農隙など修学に便利な時期を選ぶことなどを提示している。第6に、「修業期間」に関しては、数週、数月あるいは数年など任意たるべきこと、第7に、「教員」に関すること、第8に授業料に関してなるべく徴収しないことなどの注意事項を示している(『北海道教育雑誌』第117号)。 道庁は、さらに翌36年2月の道庁訓令第13号別冊「普通教育に関する注意事項」の付録に、「実業学校の事」を 掲げ、実業として広範な内容を具体的に示すとともに、教師についても手軽に都合のつく人でよいとし、教える場所や道具も、小学校のものをそのまま使用すること、費用としては炭油代ぐらいにすること、などを挙げている。 |
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