通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 井上文政と実業学校令 |
井上文政と実業学校令 P208−P209 日清戦争直前に、文部大臣に就任した井上毅は、初等教育から高等教育までの各段階に、実業教育を導入して、普通教育と実業教育の関連を考慮した学校体系を作り上げていくことを試みたが、病に倒れ、その意図を十分に達成することができなかった。井上の果たせなかった事業は、明治30年代に引き継がれていった。井上は、当時の国際関係を「鉄火」の争いでなく「実業技芸」上の争いと捉え、備えを1日怠ればそれだけ競争におくれをとるとの認識のもとに、実業教育の振興を急いだのである。井上文相のもとで、明治27年に公布された「実業教育費国庫補助法」は、財政の面から実業学校を支援するものであった。この法律によって、国庫から毎年15万円の補助が実業教育の奨励のために支出されるようになった。地方の公立および農工商組合立の実業学校の創立費と経常費に関して、補助金が交付されることになったのである。それが地方の実業学校設立の動きを促進するものとなり、明治27年に44校にすぎなかった公立の実業学校が、実業学校令公布前年の明治31年には、195校に増加したのである。このような、井上文相の実業教育振興政策の結果増加した実業学校、なかでも国庫補助の対象となっている公立実業学校については、監督を周密にし、奨励誘導をはかる必要があるとして「実業学校令」が制定されることとなった。明治32年2月に公布された「実業学校令」は、我が国の学校体系の中に、実業学校をはじめて正式に位置づけたものとされている。 実業学校令によれば、実業学校は「工業農業商業等ノ実業ニ従事スル者ニ須要ナル教育ヲ為ス」ことを目的とするものである。この目的に対応して、実業学校は多くの種類を備えることとなる。工業学校、農業学校、商業学校、商船学校および実業補習学校などである。また、これらの種類に応じて、工業学校規程、農業学校規程、商業学校規程、商船学校規程、水産学校規程、徒弟学校規程および実業補習学校規程などが制定された。 |
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