通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
|
第1章 露両漁業基地の幕開け 壮丁教育および予備教育 |
壮丁教育および予備教育 P215−P217 当時、通俗教育を正式呼称としていた社会教育の面では、壮丁教育や予備教育が実施されている。それは、日清戦争中の兵士の活躍が、その教育程度の影響を受けていることが明らかになったため、明治30年代に、壮丁検査の際に学力検査が加えられたことに関係している。壮丁教育程度検査の結果によれば、徴兵適齢者は概して無教育で、知識の程度は浅く、諸能力の発達不十分、道徳上の諸観念も薄い、ということである。このような事態に対して、無教育者たる壮丁に適切な夜学を設けることが提言されていた(「壮丁教育程度調査書」『北海道教育雑誌』明治32年12月所収)。道内では、こうした事態に対処する夜学が全道的に実施されている。明治37年8月開催の「学事主任会議」の協議事項に「夜学奨励の件」が取り上げられ、「其の年入営の壮丁及其他地方青年に補習教育を為すこと」、その内容は「実用適切を主とし特に入営の壮丁に対して軍人勅語、入営後の心得を授くること」とされ、場所は「成るへく学校を充用し教員其任に当」たるべきことが協議されたという(『北海道教育雑誌』明治37年9月)。 函館でも、壮丁教育の必要が明らかになっていた。「三十七年北海道壮丁普通教育程度調」によれば、函館区の壮丁総数2018人のうち、420人、20.81パーセントが、「読書、算術を知らざるもの」であったという(『北海道教育雑 誌』明治37年12月)。函館の壮丁教育は、函館教育会が実施しているが、同会でこの問題が取り上げられるようになるのは、37年4月のことである。同月14日の理事会に、活動事項取調委員会長より、夜学校を設けることが提案されるが、それは、(1)「本年五月入抽籤の壮丁中当区在籍者にして全く文字なきか若しくは国民教育の全部を終へさる者を入営までの間教育すること」、(2)「昼間労働を取りて自活する貧困者に国民教育程度の教育を施すを以て主眼とすること」「右は当分教育会の資金を以て其費用を支持し」「教授料は之を徴収せざること」などを内容とするもので、臨時総会の会議に付することとされた。 5月16日の委員役員の連合会において最終決定がなされ、5月20日より実施の運びとなる。この段階で、夜学校の名称が、夜学会に変更されている。 (1)人学志望者確定の者中学に18人、若松に20人、外未確定の者10数名あるにより本月20日より中学、若松の2校に於て開設すること (2)毎日午後7時より9時まで2時間授業のこと (3)名称を函館教育会附属夜学会とすること (4)講師に報酬として毎月金5円を贈呈すること こうして、5月20日には、若松小学校と函館中学校の両校で、それぞれ開校式が挙げられ、学会が発足した。若松小学校の収容壮丁数は21名である。函館中学校では21名の壮丁を甲乙丙の3組に分け授業を行っている。尋常小学校修了程度を甲組(7名)、片仮名のみ知って文字を知らない者を乙組(10名)、さらに全く無文字のものを丙組(3名)とするものである(『函館教育協会雑誌』第164号、明治37年7月)。 函館の壮丁予備教育は、「本年入営当籤の壮丁は総計九十四名なるが其内尋常小学校の学科を修了せざるもの六十三名ありしを以て函館教育会は前年の倒に依り之が壮丁予備教育を企画し壮丁の就学を勧誘したるに応ぜしもの三十余名あり依て東川小学校内に於て九月十一日より開始し来る十一月末を終期とし毎日午後七時より同九時まで二時間つゝ授業を為しつゝあるといふ」(『北海道教育雑誌』第153号)。壮丁の予備教育は、その後も継続して実施されていたようである(「本道壮丁予備教育実施成績調」『北海之教育』、大正4年4月)。 壮丁教育にしろ、予備教育にしろ、軍事との関連で、軍事上の必要に応じて、教育が組織化されているところに、日本の近代教育の特質が現れているといえよう。しかも、このような場合には、さまざまな事情によって、十分に初等教育を受けられなかった人々を教化する機能を期待されるものである。後の時代の、青年訓練所や青年学校も、この延長線上に位置付くものといえる。 なお、函館教育会では、この時期に、通俗講談会を実施しており、一般成人を対象とする社会教育活動に、教員と教育会が重要な役割を果たしていたことを物語っている。この場合の会場には、学校を当てるのが通例である。 またこの時期、区内の若松小学校では、児童の保護者を集め、父兄茶話会なるものを頻繁に開いていたことが「日誌」に記録されている。父母を対象に、教育に関する講話をはじめ、啓蒙的な働きかけを行うものである。その他にも、「日誌」には、同窓会の集まりが定期的に開かれていた事実が記録されており、学校と教員による教化の形をとった、幅広い社会教育活動が行われていた事実を伝えるものである。 |
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ |