通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第4節 明治末期函館の教育界
5 社会教育

壮丁教育および予備教育

「戊申詔書」の公布

図書館の設置

「戊申詔書」の公布   P217−P218

 明治39年2月の日本社会党の成立は政府に脅威を与え、社会主義対策は教育行政の重要な課題となっていった。同41年、このような事態に対応する国民教化の方針が、「第二の勅語」ともいうべき戊申詔書によって国民に示された。詔書には、「上下心ヲ一ニシテ忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ惟信惟義醇厚俗ヲ成シ華ヲ去リ実ニ就キ荒怠相誠メ自彊息マサルヘシ」と、国民の向かうべき方向が示されている。階級融和を第一に説くものであった。
 「戊申詔書」の公布に伴い、本道では、学校の教員による「教育勅語」および「戊申詔書」の趣旨の貫徹の働きかけが行なわれるようになっている。それは、「幻燈会を催して勅語詔書を講演し時に或は近村各部落に巡回講話して其の普及を図ること」や「祭礼縁日等人の多数集会するを機とし社寺等に於て講演すること」「青年会婦人会父兄会母姉会等を開始し部落風教の改善を図ること」「保護者会を組織し学校と聯絡し内外相応して弊風の矯正を図ること」「町村の一般の集会の際は町村長神官僧侶有力者等と協力し聖旨を奉戴して実践を図ること」等々多様な方法を通して、勅語および詔書の教えによる道民の教化を図ろうとする内容のものであった。国民の教化としての社会教育の姿を如実に示す事実である。学校の行事が地域住民をも加えて教化の機能を果たしていたことは、すでに見たところであるが、ここでは学校の教師が、一歩学校の外の社会を視野に入れ、教化することが求められている(「本道小学校に於ける教育勅語 戊申詔書の御趣旨貫徹に関する実施要領」『北海之教育』第213号所収、明治43年10月)。
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