通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第6節 民衆に浸透する教育

1 大正デモクラシーと教育

1 初等教育

増大する就学児童数

続く二部教授と授業料徴収

大正新教育の実践

教員研修の組織化

二部教授の調査研究と実施

二部教授への批判

二部教授廃止建言書

建言書と区会

尋常夜学校の新設

児童転送の問題

教員の実況

児童転送の問題   P648−P650

 二部教授問題とともに、函館教育界の重大問題となっていたのが、毎年行われる児童の学校間の転送であった。この問題もその根底には就学児童数の増大という事情があった。毎年度の学級編制の都合上、学校間で児童を移動させるもので、これまた教育の効果の点から、学校関係者の間で問題にされたのである。
表2−145 高砂尋常小学校児童平均在学年数(大正3年7月現在)
学年
正常在学年数
現在平均在学年数
第1学年
第2学年
第3学年
第4学年
第5学年
第6学年
4か月
1年4か月
2年4か月
3年4か月
4年4か月
5年4か月
4か月
11か月
1年2か月
1年8か月
1年7か月
1年9か月
注)『函館教育』202(大正3年12月28日)により作成。
 大正3年、函館教育会が区内の学校に提出して回答を求めた問題の中に、「御校に於て教育上最も困難なりと感ぜらるる事項」というのがあり、それに対する高砂尋常小学校の答えの中に児童転送の問題点の指摘がある。「区に於ては学級編制上の都合を以て年々各小学校児童の大転送を行ふあり是に於てか在学児童の大半は中途入学者をもって充つるの現状を呈せり」というのである。この回答には、学年別の平均在学年数の表2−145が添えられている。回答は、表の在学年数に関連して「上に掲ぐる処を見れば六学年の如きは五ヶ年四ヶ月在学すべきものなるに平均二ヶ年に満たたざるの在学なり」「此半途入学者の多きを証明して余りあるものに非ずや当区小学校教育不振の声あるまたここに起因せずんばあらず」と述べている。さらに教育不振について具体的な指摘がなされている。「児童大異動の影響を被りしこと多大にして現に児童成績の不同また驚くべきものあり警へば六学年の児童にして尚四学年程度にさえ達せざるが如きもの尠なしとせず是等不同の児童を纏め相当の成績を挙げんとする職員の苦心想像するに難からざるべし」と学力について述べ、さらに訓育面について「加うるに転送せられたる児童は訓練上にも多大の障害を及ぼすものにして彼の国民教育上缺くべからざる愛校心の養成等は得て望むべからず是れ本校に於て教育上最大なる困難」と記している。渡辺熊四郎も、『函館教育』209号掲載の論説「小学校通学子女の難儀を見て父兄に図る」の中で、このことに触れている。「それから又通学区域の変更といふて兄弟姉妹が年々の様に入学する学校が違ひませう。あれは文部省あたりの御規則かと思ふて聞いて見ると大違ひで函館の名物だと申します。区役所の係の人は色々苦心して居ながらあんな有難くない名物が出たのは何故でせう。つまり一定の学校が一定の区域内の児童を年々収容する丈に教室がないからであります夫れもこれも皆学校が尠いからであります」と、校舎の不足により児童の収容が出来ず、やむなく年度ごとに、児童の転送に頼っているというのである。
表2−146 市立小学校尋常科の1学級児童数
年度
最多
最少
平均
大正12
13
14
昭和1
2
3
4
5
75
80

80
80
80
80
80
55
40

35
39
41
27
30
67
66

64
64
64
55
64
注)1『函館市学事一覧』によって作成。
2大正12年度は小学枚の数値である。
 大正期の新教育の主張に特徴的なこととして、1学級の児童数を30名前後に制限する動きがあった。しかし函館では就学児童数の増大とともに、1学級の児童数の増大が見られ、個人差に応じた指導を原理とする新教育の主張を支持する父母の要請に十分に応えられないという問題を露呈していた(『函館教育』第218号)。
 函館における1学級当たり児童数の最多、最少および平均値の年度別の推移を示すと、表2−146の通りである。
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