通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第6節 民衆に浸透する教育

1 大正デモクラシーと教育

1 初等教育

増大する就学児童数

続く二部教授と授業料徴収

大正新教育の実践

教員研修の組織化

二部教授の調査研究と実施

二部教授への批判

二部教授廃止建言書

建言書と区会

尋常夜学校の新設

児童転送の問題

教員の実況

二部教授への批判   P540−P641

 このような擁護の方針により実施されていく二部教授に対して、大正期を迎えると、教育界から反対論が提起される。
 二部教授担当教師は「学齢児童激増の結果益々団体教授採用せられ既に一教室八十名以上収容することは普通となったではないか。既に八十名の児童決して少なくない然るに吾人は其二倍百六十余名を一日の中に教授して居るのである…噫吾人は日々刻々自己の身体を衰弱せしめあはれ可憐なる優秀児をば無能たらしめ盛に劣等児を製造しつつあるを思へば実に寒心の外はない」と述懐し、「二部教授とは何ぞ曰はく劣等児製造法なり」、「如何となれば縦ひ如何に優秀なる教育家精力家と雖も国家が要求する充分なる教育を施すことが果して出来得るであらうか」「これ吾人が二部教授を難ずる第一義である」「更に戦慄すべき第二の問題が起り来る曰はく二部教授より起る教授時数の減少である」「更に教師の疲労教授の困難家庭の繁雑不便等数へ来たらば枚挙暇あらず」というように問題点を指摘する。そして「されば当区に於ても徒に惰眠を貪らず此刻下重要問題に対し慎重なる態度を持し之が実施を適切ならしめ以て迷へる実務者に安心立命を与ふるか然らざれば一日も早く此の病的制度の実施を全廃し可憐なる神童を危険より救ひ容るるに足るべき大校舎を新築せられんことを望んで止まない次第である」と結ぶ(「二部教授に関する希望」『函館教育』第197号、大正2年)。
 実際に二部教授を担当している現場の教師の声であるだけに痛切である。
 次いで大正6年には父母の側からの二部教授批判が現れる(『函館教育』第209号)。学務委員でもある渡辺熊四郎は、明治末期以降の函館の就学児童の増加に校舎建築が追い付かず、二部教授が大幅に編制され、知育、体育いずれの面でも支障をきたしている事実を指摘し父母および区当局に改善の取り組みを促している。渡辺は二部教授の実情と問題点を「この勢で進んだら一二年の中に尋常四年までも二部教授をしなければならないかも知れません。」「何れにしても教場に七十人は多い況んや午前に七十人午後に七十人一人の先生に百四十人を受け持たせる到底人業では出来ません」と述べ、さらに「四時間五時間にゆっくり噛みくだいて教へられるのに三時間よりないのですから二年三年と続く内には非常な損失であります。もっと適切にいへば皆さんの子宝が十分怜悧になるのをまあまあと抑えられて居るのです」と父母に訴えかけ、最後に「子供のある方々は貨幣の筵旗を押立てて区役所包囲案に御賛成を願ひます、大至急に願ひます」と父母の行動を促している。翌年の小学校児童保護会連合会による区長への二部教授廃止建言菩提出の伏線をなすものといえる。貨幣の筵旗というのは穏当を欠く表現に見えるが、要するに教育費の負担を引き受けることを約束した上で二部教授廃止を当局に迫ることをいっているのである。
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