通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
4 戦時下の市民生活と7月14・15日の空襲

「生活刷新実践要綱」の制定

「要綱」と市民生活の変化

防空演習と市民

函館空襲

北部軍の被害状況

全滅した連絡船

函館市域の被害

函館市の戦没者

函館市域の被害   P1288−P1289

 しかし、2日間にわたる函館空襲の被害は、北部軍の報告にも部分的に触れられているが、市内・港内の各種施設を中心に深刻なものがあった。函館市史資料集第35集『戦災資料』(昭和34年)は、市内の被害を次のように記している。「(七月十四日)午後三時頃、駒止町二十八番地に投下された爆弾三個其他焼痍弾によって、家屋十二、三棟を破壊し、死者十四名負傷者十六名を生じたる外、家屋の密集地帯であった関係上発火し、十米の西風に煽られ四方に延焼して、大火となり、消防隊の防火も効なくついに駒止町、旅籠町、天神町、船見町、鍛冶町の各一部、百六十九棟、三百八十四戸を焼失せしめた。又大門交差点丸み肉店に一弾は命中し鉄筋コンクリートの同家を破壊したが死傷はなかった。一方函館駅構内に投下された爆弾の為に、札幌鉄道郵便局従業員牧野佐助外二十二名、計二十三名は郵便物積下し作業中爆死するに至った」。
 これによれば、陸上部での市民などの死者は37人になる。しかし、昭和59年になって、空襲時の死者は79人に達することが明らかとなった(『函館市史』統計史料編)。ちなみに、7月14、15日の両日、北海道全体で生じた空襲の被害は、死者1925人、負傷者多数(確実なもの970人)、戸数6680戸、罹災人口3万3400人に達している(菊地慶一『北海道空襲』1995年)。

「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ