通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 全滅した連絡船 |
全滅した連絡船 P1287−P1288 この北部軍が把握していたかぎりの被害情報では、青函連絡船は松前丸が大破、第八青函丸が中破となっている。しかし、14日24時現在では、表3−45および図3−5に示されるように連絡船はほぼ全滅の状況にあり、この段階では無傷のままであった第一青函丸も、翌15日の空襲で沈没した。このようにして運行中の連絡船12隻中、2日間の空襲により沈没・座洲炎上10隻、損傷2隻の被害を受け、青函連絡船による輸送ルートは壊滅的な打撃を受けたのである。なお、表3−45の8月10日に沈没した亜庭丸は、本来は、稚内・大泊間の定期連絡船で、たまたま函館ドックに入渠中であった、青函連絡船の全滅により、急遽7月23日より青函航路に転用され、就航中に被害を受けたのである。米軍機の攻撃は7月15日も行われた。前掲の『市立函館図書館日誌』は、当日の状況を、空襲警報が「午前五時廿分発令午后五時解除、午前十一時頃少数機来襲せるも被害なし」と記しているにすぎない。
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