通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 岐線とエプロン |
岐線とエプロン P1174 現在、海岸町に立地する橋谷株式会社は、海岸町に2千坪、鉄筋コンクリート平家の倉庫を昭和2年建設し、函館駅の貨物を扱っていた。この鉄道貨物を駅から側線を敷いて、直接倉庫に格納していた。つまり、「岐線」である。この会社が、岐線のハシリである。昭和19年、この橋谷岐線は1日にセキ号車50車の機帆船石炭を取り扱った(『先駆−函館駅80年の歩み−』)。岐線のハシリは橋谷株式会社であるが、以来、海岸町、浅野町の埋立地では、岐線が大いに利用される。これは国鉄−倉庫−海運をつなぐ鉄道貨物軌道であると共に、倉庫前積卸の場、つまり港湾でいうエプロンを創造したことを意味する。現在の西部の港湾が、非常に狭く、無いに等しいエプロンのため、鉄道引込線を入れられず、また、大型トラックも入れられないことを考えると、岐線の登場の意味は大きい。 |
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