通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第2節 戦時体制下の産業・経済
3 戦時下の港湾産業
4 港湾運送業の戦時統合と自由労働者

第1次統合

第2次統合

自由労働者の登録と組織化

第1次統合   P1174−P1176

 昭和17年11月、企画院内に設置された戦時輸送委員会で港湾荷役力増強の根本方針を検討、荷役能率の5割以上上昇を目標として、賃金制度改善、食糧、作業必要物資の増配、揚荷場所の集約、荷役設備改善と共に、港湾運送業の急速統合が決定された。
 この政府主導の戦時統合に先立って、函館では、全国に先駆け、自発的な統合が、業者自らの企画、行動によって実現した(昭和16年9月1日「函日」)。太平洋戦争開始の前である。「函館日日新聞」は、次のように報じている。

 函館市内の海陸労務請負業者は、近く実施される港湾運送業統制令に準拠し、国策に順応、全業者を大合同し、事業の整理統合、能率の増進、技術の向上、施設の拡充から、労務者の福利増進をはかるべく、七月中旬より準備委員会を設置し協議を進めていたが、二十九日開催した組合の臨時総会において、出席全員は自発的に大合同賛成の決議をしたので合同は急速に進展、同日直に合同新会社総立仮総(ママ)会を開催、発起人として左の十五氏を推薦、諸般の手続きをなし、近日中に新機構による業務を開始する段取りとなつた…社名は『函館海陸作業株式会社』…合同に参加する事業主百三名…所属労務者は約二千名…資本金は三百万円以上と見込…これは全国に魁けた合同として他都市注目の的となっている。代表古川栄八、滝野善次、菅原源太郎、本庄吉松、高木荘治、木村茂雄、沢木成長、橋本筆次郎、佐藤和三郎、小川利三郎、野沢豊吉、四津庄次郎、多田金作、伊藤文助、金沢孝三郎

 この記事に「百三名の業者中一人の反対もなく、自発的に、かつ、明朗に、まとまったわけで、喜ばしい限りであり」との発起人代表古川栄八談がついている。
 この組合は、函館海陸労務請負業組合という労力請負業者の協同組合で、戦時統合の主導者となったわけである。従来の艀業者が主導したとの理解は、誤りであった(『函館海運史』、前掲和泉雄三「戦中戦後の函館港湾運送企業」)。
 昭和16年10月21日「函館新聞」は次のように報じている。

先に公布となった港湾運送統制令による港湾作業の円滑を期すべく、函館海陸請負組合が主体となり函館地区内の業者企業合同の一元的作業会社を設立することとなり、かねて発起人会で協議中であったが、愈々資本金三百六十万円…設立することに決定、名称を函館海陸作業株式会社とし、発起人代表古川栄八…設立認可申請書を函館会議所に提出…、会議所から副申を添え、二十一日逓信大蔵両大臣に提出する事になった。合同範囲は…共進組、定期船組、水産組、北洋組、大函組、日魯組、同職組、石炭組、社外船組、T船組、日水組、燐砿組、共販組、千島組、共同組

 艀業統合は翌年である。
 昭和17年8月20日の「新函館」には「函館港の艀業の統合は、海務院指導の元に、今春来準備委員が設けられ準備中であったが、既に財産評価も終わり、大体の目安もついたので、来る九月二日、組合の臨時総会を開き、発起人を決定し、愈々統合会社の総合手続きに入ることになった。その統合方針については、宮崎信太郎、斉藤五一郎、岡村小三郎、橋本筆次郎、小山内敬六郎、岡田幸助、高橋亥之吉、佐々木勝郎、小林清一郎、日本郵船、浅野セメント以上十一氏の持船全部にわたり、艀においてはトン当り百円、曳船においては一隻一万円見当の評価を以て現物を出資とする。この外現金二十万円及び権利金を含め大体資本金三五十万円乃至四百万円を以て統制会社を設立する予定……逓信省、海務院の指示に従う……。社長は岡田幸助氏か宮崎信太郎氏……。」と報じられている。
 『函館海運史』によれば、この会社は艀業13名を統合し、宮崎信太郎が社長の函館港湾運送株式会社となっている。昭和17年11月30日の許可である。
 もう一つ、昭和18年9月1日、日魯系、資本金35万円の函館港湾荷役機械株式会社が設立されていた。この会社は、特に荷役機械を所有、これをリース、重量物をウインチをまわして荷役していた。代表者、梅田重兵衛(函館海運(株)社長木下宏平談)。

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