通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 石炭輸送施設 |
石炭輸送施設 P1173 石炭輸送は、本来、一般海運、貨物船が担当する。函館駅は、本来、鉄道用炭、連絡船用炭、暖房用炭だけを取扱った。戦時、機帆船による石炭輸送が始められることになったので、急ぎ、そのための陸上施設と港湾施設が造成された。昭和18年9月、市内万代町地先の埋立地浅野町に、同方面所在の一般事務所用専用線が敷設された。その後、京浜地区向け石炭緊急輸送のために半高架式石炭積卸線が設備され、一時は石炭専用線の観を呈した。これが現在の浅野町岐線の起こりである。19年に入り、本州軍需工場向けの石炭送込はますます重要となり、函館駅は、あげて石炭荷役、航送に全力を注ぐことになり、第3船入澗を全面的に機帆船の石炭積みに使用すべく荷役設備工事が行われ、その一部完成をまって、昭和19年3月31日から使用を開始した。 国鉄の船入澗は、3か所あった。もともと貨車航送以前、艀運送(大正末まで)時代に必要だったもので、若松埠頭北側の埋立地に作られていた。第1船入澗は函館駅防波堤内に防波堤を利用して大正4年に、第2、第3船入澗は大正10年7月に竣工していた。貨車航送以後は、艀、曳船用木造小蒸気船は中型鋼製となって繋離補助作業、雑作業に転用され、この船入澗が活用された。昭和10年、小蒸気船は補助汽船と改称された。この駅の船入澗が、石炭その他を運ぶ機帆船用に活用されたのは、昭和18年以降である。 |
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