通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第9節 労働運動の興隆と衰退
4 労働争議と無産政党の結成

函館交通争議の始まり

政治的高揚と無産政党の結成

函館第1回メーデー

労農党函館支部の結成

労働争議の拡がりと第2次水電争議

水電買収問題

漁業労働者問題

警察の介入

水電買収問題   P1085−P1086

 函館における水電会社に絡む問題は労働争議だけではなく、「函館水電買収問題」としても知られている(第2章第2節参照)。これは電灯、電車、ガス、水道の公共施設を民間企業から地方自治体経営に移管させようとする政府の政策を受けて進められたことから生じた。函館でも大正15年の秋頃から水電買収が浮上し、同年10月の市会選挙で労農党候補2人が当選したことから、この問題は「全無産階級及び小市民の不平」を取り上げる絶好の課題となった(「無産者新聞」第66号)。労農党函館支部では、「単に之に反対すると言ふ古き政策で戦ふことは出来ない」として、市当局と水電会社が「見積額七百五十万円のものを千四百万円」に計算して市民に負担させようとしていること、そのために「私営企業の最も明細な会計簿の明示」「公営企業管理の自治機関を作」ることを要求した。
 こうした中で昭和2年2月13日、労農党函館支部大会が開かれ、参加した党員は60余名、傍聴者が約100名、その中には10数名の女性も見られた。大会では役員として次の者が選出された(労働農民党「労働農民新聞」第4号)。支部長−小林力太郎(明治29年生、船大工、木工労組副組合長)、幹事−高島末太郎、青野三郎、加藤貫一、藤波源太(次)郎(弁護士、政研函館支部メンバー)、釜石(谷か)健一郎(明治36年函館生、函館ドック工愛会執行委員長、戦後函館生協石炭を運営)、静秀雄(三・一五事件関係者)、田沢和栄、森豊造、小野貞二(治か)(明治34年生、函館水電交誼会執行委員)、佐々木健三(健助と同一人物か、明治31年生)、田所正信(明か)、吉田清(明治32年生、函館の北海水交会々長)、小山田由松、斉藤金市(明治32年新潟生、函館一般労組執行委員)、鈴木治亮、会計−佐藤忠寿(明治33年函館生、函館一般労組執行委員)、会計監査−加賀谷貞蔵、松田令(令司か)(弁護士、政研函館支部員、市議)、書記−板垣武男(明治36年生、のちに板垣書店を経営、『寒村自伝』を出版)である。
 水電買収問題で生じた混乱に対し、労農党函館支部は市政刷新会を組織し「市会革新、水電買収内容の公開等」を理事者に迫った。傍聴者200余名が駆けつけ昭和2年5月25日の市会は、水電会社の市営移管は一部理事者の手で不当な価格で買収されようとしていると怒った傍聴者が「憤激して議場に乱入」する事件となった。同支部では「市民大会を開き、水電買収問題の公開、函館水電会社収支決算の公示、市長弾劾、現市会解散の要求に迄で市民の要求を発展させるべく、市政刷新会と協力」して運動する事にし、この問題を引き続き市政の重要課題として位置付けた(「無産者新聞」第86号)。
 こうした中で、昭和2年の第2回メーデーは、函館公園で12団体、500名の参加者を集めて行われた(5月2日付「函新」)。参加団体は、「函館造船木労働組合、ドック工愛会、函館鉄工労働組合、日本無産青年同盟支部、日本農民組合渡島支部、函館港内労働組合、労働農民党、函館合同労働組合、水電従業員交誼会、函館印刷工組合、日魯各工場有志、変人社、その他各団体有志」(5月1日付同前)であった。このメーデーで注目されたのは、壇上から演説をした2名の女性(川端米子と保坂民子)である。女性の演説はこの年の3月、労農共闘で有名な小樽の礒野農場争議で小作女房団の代表が壇上から演説し話題になっていたが、函館のメーデーでも、函館合同労働組合に属する若い(川端は20歳)女性が演説をした。新聞は「若い女性まで壇上に立つて気勢を挙げる」「労働運動の第一線に起つた/函館の女性」として題して彼女らのことを取り上げている(5月2、4、5日付同前)。
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