通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第9節 労働運動の興隆と衰退 労農党函館支部の結成 |
労農党函館支部の結成 P1080−P1081 全国単一無産政党の声の高まりの中で大正15年3月、労働農民党が結成されたことは先に述べた。函館では6月20日、10団体が参加して労農党函館支部創立準備会が開催されたが、この準備会の提唱者には造船木工組合の高島末太郎がなり、経過報告は中川清が行った。準備委員として、高島の他に丸町徳太郎(明治34年生、造船木工労働組合執行委員)など13人が選ばれた(「無産者新聞」第34号)。労農党函館支部の結党式は西川町衛生事務所にて同年8月4日に開催された。当日の参加団体は水電交誼会、函館ドック工愛会、鉄工組合、製材職員組合などであり、本部からは安部磯雄(早稲田大学教授、後に社会民衆党委員長)が来函し祝辞を述べた。当日の決議内容は、「無産者に対する市税・地方税の負担軽減、庭園別荘蓄妾贅沢物に課税遊興税増加、電灯料金値下げの即時断行、小学校授業料撤廃、補習教育機関の完備授業料全免、市立図書館設置及び内容充実無料閲覧、公的集会に対し公共営造物の無料開放、市営無料診療所及び市営託児所の設置、廉売市場の改革、漁業労働者自由労働者保護立法の要求」などである(「無産者新聞」第42号)。 この後、同年8月28日には札幌で労農党北海道支部連合会が組織された。参加支部は函館・札幌・小樽・旭川・釧路・室蘭・八雲の7つであった。 労農党が結成されて始めての普通選挙による市議会選挙が大正15年10月、道内各都市で行われた。北海道の労農党はこの選挙において6名の当選者を出したが、内2名は函館であった。10月20日に行われた函館市議会選挙において労農党函館支部からは3名が立候補し、内2名が当選した。獲得投票数は、高島末太郎(造船木工組合組長)・447票(17位)、青野三郎(明治24年新潟生、水電運転手であったが、大正15年5月の水電争議の指導者の1人で、解雇)・345票(29位)、加藤貫一(明治23年青森市生、弁護士、大正15年労農党函館支部長)・104票(落選)であった。この結果、党派別勢力は「憲政系十八、政友系十八、中立二、労農党二」となり、「労農党市会議員は市会に於けるキャスチングボードを握る」地位を占めた(「無産者新聞」第53号)。 |
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