通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 1 大正デモクラシーと教育 4 実業教育 実業教育の改革 |
実業教育の改革 P660−P661 大正期の学校教育に改革を加えた臨時教育会議の答申は、実業教育については、大体のところ改革の必要がないとしたが、「技能ニ偏スルノ弊ヲ避ケ徳育ニ一層ノ力ヲ用ヒ人格ノ陶冶ヲ努ムルコト」を求めていた。答申を受けて、大正9年に実業学校令が改正され、第1条の目的規定に徳性の涵養が加えられ、設置主体として商工会議所、農会などが認められた。さらに、実業諸学校の規程の改正が行われ、甲種・乙種の区別が廃止され、新たに職業学校規程が制定されている。工業学校についていえば、徒弟学校を工業学校に一本化する改革が行われている。工業補習学校は、徒弟学校が目指していた職工教育を行う機関であったが、一般に不振を極めていたといわれる。また大正10年の「商業学校規程」の改正によって甲種・乙種の一本化が行われ、臨時教育会議の答申で示された専門科目偏重の改善と「徳性ノ涵養」が取り入れられた。以後普通教育の充実により中学校化が進み、商業学校からの上級学校進学が増加することになった。商業補習学校は定時制の教育を前期2年、後期2年ないし3年とし、教育課程について集中方式と学年方式を採っていたが、実際には学年制が多数を占めていたといわれる(仲新監修前掲書)。 |
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