通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 1 大正デモクラシーと教育 3 教員養成 学級数・生徒数の推移 |
学級数・生徒数の推移 P659−P660 大正期の学級数および生徒数の推移は表2−151の通りである。小学校教育の発展に伴い、師範学校の学級増加が焦眉の急務となったため、大正9年度以降、本科第一部は1学級の増加が図られ3学級編制へ、さらに同11年には第一部4学級制となった。表には、これらのことが反映している。入学者の入学志願者に対する歩合を本科第一部の場合についてみていくと(表2−152)、志願者が激減した大正8年、志願者数の減少と学級数の増加が重なった同9年、志願者の減少のあった同10年を除いて、激しい競争にさらされていたことが知られる。すなわち、大正3年から7年まで50パーセントを大きく下回り、その後同11年の25.3パーセントを初めとして、大正期の入学歩合は、函館師範学校の入学を巡る競争の激しさを物語っているといえる(北海道教育大学函館分校『創立六十年史』)。このような激しい競争を経て入学してきた生徒の父母の産業別の構成を『創立六十年史』によってたどると、大正3年以降9年までの統計では、農業が大正3年の52.5パーセントを最高に、同7年の30.8パーセントを最低の数値とし、35から41パーセントの間を上下する比率を示しており、農業が他を引き離して1位を占めていたことが分かる。農業に次いで高い比率を占めているのは教員で、大正7年の10.3パーセントを別にすれば、ほぼ13から16パーセントの間の数値を示している。この間の官公吏の数値を、教員のそれに加え官公吏および教員をまとめてみていくと、大正3年の20パーセント台から同8年の40パーセント台へと次第に上昇を示しており、農業に官公吏並びに教員が迫っているといえよう。商業は、同6年の6.6パーセントと大正9年の20.5パーセントを別にすれば、ほぼ10パーセント台にあり安定した比率を示しているといえよう。
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