通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第6節 民衆に浸透する教育

1 大正デモクラシーと教育

3 教員養成

函館師範学校の教育

制度の拡張

学級数・生徒数の推移

函館師範学校の教育   P656−P659

 大正14年、「師範学校規程」が改正され本科第一部の年限が延長されて専攻科が設置された。「教授要目」の改正があり、「法制及経済」が必修とされ、男子生徒には「英語」が必修とされるようになった。本科第二部の学科目では、男子生徒には「農業又は商業」が必修に加えられ、女子生徒に「法制及経済」並びに「家事」が必修として課されることになった。この時期には、寄宿舎も新築に当たっては、学習室と寝室を一緒にすることが考えられるようになり、自治や家族的雰囲気が尊重されるようになっている。

庁立函館師範学校
 創設された函館師範学校では、第1回入学式(入学生80人)が、大正3年4月9日に挙行され、4月10日授業が開始されている。こうして発足した函館師範学校の教育方針は、初代校長和田喜八郎の意見や道会の建議などにより、広く道民一般にも認められるようになった「拓殖教育」を基礎とするものとなった。教育方針は、「師範学校規程第一条ノ趣旨ヲ遵守シ、傍ラ生徒ヲシテ、本道ノ教化ヲ以テ己ノ任務トナシ、卒業ノ後、其ノ町村ノ事情ヲ斟酌シ、之ニ適切ナル施設経営ヲ企画スルノ才幹ト、之ヲ遂行スルニ必要ナル創造的共同的及ビ進取的気風ヲ有セシメントス」というものであり、生徒の教育に当たっては「拓殖事業」と密接な関連を保たせることが原則とされるようになっていくのである。
 注目すべきことは、創造的、共同的および進取的気風の育成が唱えられたことである。大正期に特徴的な教育の原理といえるものである。激化する国際的な競争に対処することが教育の課題とされ、初等教育をはじめ教育界一般に創造、進取、共同などの諸原理に基づく教育が広く受け入れられるようになっていく時期である。このような教育方針が、学習、訓育、体育などの教育活動や、学校行事に具体化され、展開される様子を『創立二十五年史』によってみていきたい。
 学習の方針は、師範学校教授要目に従うとともに、「拓殖」教材の選択に留意し、自発的に学識を進め、技能を磨く習慣を育てることを原則としている。この方針によって、図書室を整え、自学自習の風を盛んにするよう努力し、新聞雑誌の記事の摘録掲示を行い、「探究学科」を選定させ、指導し、講堂時間を設けて常識の涵養に努め、学芸会の進歩改善を図り、実地見学を行わせ、より多くの体験、労作をつむよう努めたといわれる。「探究学科」というのは生徒各自の好むところに従って学科を選択させ、学科担任が指導するもので、後の時代の増設科目に類似したものといわれる。講堂時間は、全校生徒を講堂に集め日常の偶発事項や常識的知識について、職員生徒交互に講話を行うものである。時によっては外来者の講演を聴くこともある。常識涵養の方法である。その他、師範学校報の発行、学芸会、諸会合、心理学実験室における各種実験・研究などを行っている。なかでも、諸会合と呼ばれるものは、ペスタロッチ会、ダーウィン会、ニュートン会、スペンサー記念会などで、それぞれに偉人をしのびつつ知識の向上を図ろうとするもので、職員生徒がともに真理を探求し、偉人の伝記による修養を行うものであった。
 訓育の面では、堅忍持久の精神や勤労労作の習慣を養成するために常に作業に自従させ、独立自営の習慣を養成するために生徒相互の理髪、被服の自己修繕および自己選択を奨励し、共同精神を喚起するために共同作業・共同制作を課し、剛健の気風の作興、心身の鍛練のために武道の寒稽古、雪中行軍・演習、長距離競走、相撲などを奨励している。さらに進取・創造の精神を鼓吹するための実践が試みられていた。体育は訓育との関連に配慮しつつ、正科の武道体繰の他に、裸体体操、長距離競走、相撲などを奨励し、川狩、兎狩などを行っている。夏季には1週間の水泳を正科として課して水泳法を練習させ、冬季には1か月にわたる武道の寒稽古を実施し、雪中諸運動、発火演習なども随時行い、教育者として必要な活力の増進に努めている。
 学習、訓育、体育の諸活動の他に、「拓殖教育」の方針を具体化した活動としては、北海道関係事項の研究指導および郷土国語漢文資料の蒐集印刷があった。北海道関係事項の研究指導には、新聞雑誌の切り抜き、古書の写本、北海道黒板掲示、印刷物配付などがあり、郷土国語漢文資料の蒐集印刷は、函館および付近の金石文その他、郷土的詩文を集めて印刷し、国語漢文の補充教授資料としたものである。
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