通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 1 大正デモクラシーと教育 2 中学校 庁立函館中学校の教育の動向 |
庁立函館中学校の教育の動向 P653−P656 大正期には、前述のとおり、デモクラシーの風潮を反映して、全国的に入学志願者が増大し、志願者に対する入学者の比率が、50パーセント未満に下がり、入学難の傾向がみられた。庁立函館中学校の場合にも、大正期前半には入学志願者が、表2−149のとおり、年々増加を見せ、志願者に対する入学者の比率も、ほぼ30パーセント台から40パーセント台にとどまり、入学難の傾向を示していた。入学志願者の増加に比べて大正前半期の学級数は、表2−150のとおり、10ないし11に固定されていたようで、生徒数も、基準の600をかなり下回っている。それだけ、競争は激しかったものとみられる。
教育活動の全体にわたる方針は「教授教養の方針」として提示されている。労働運動や社会主義の台頭を背景に、階級融和を説いた「戊申詔書」が取り上げられるとともに、大正期のデモクラシーの思潮を反映して生徒の個性の進歩発展が考慮されている。「教養教授の方針」は、先ず「本校教養ノ方針ハ、教育勅語ヲ経トシ、戊申詔書ヲ緯ト」することを説いており、教育勅語の渙発以降一貫して変わらない天皇制教育の基本的な構造を受け継ぎ、補充強化していることが分かる。次いで、社会国家ノ要求ニ適応スベキ個性ノ進歩発展ヲ成就」することが挙げられている。当時の教育界に広くゆきわたっていた個性尊重の教育観の反映がみられ、究極的には国家の「要求」への適応が説かれるにしろ、生徒の個性の伸長が教育方針に取り入れられたことは注目すべきことである。一定の制約の範囲内とはいえ、個性の進歩発展を考えざるを得ない時代を迎えたことを意味する。結びは「自覚的ニ知徳ノ修養ト身体ノ鍛練トニ励ミ心身共ニ健全ニシテ誠実且有要ノ人物ヲ養成センコト」が掲げられる。教授、訓育、養護の全般にわたって、自覚的に奮闘する人物の養成が、目標に掲げられているといえよう。教師の指導の下での自治的活動に励む生徒像を示したものといえる。
訓育に関しては、「常ニ誠実ヲ以テ其ノ思想行為ヲ律ス可キ」こと、「剛健ニシテ勤勉」「自己ノ向上ト社会国家ノ発展トニ貢献シ」「外ニ対シテハ健闘的努力ヲ要シ」「内ニ向ヒテハ精進克己ノ勇猛心ヲ奮ヒ」「常ニ個人間並ニ団体間ノ和衷協同ヲ重ン」じることなどを掲げ、誠実、勤勉、剛健、和協を校訓標語として示していた。特に注目すべきは、「文化の促進も国家の富強も倶に和協の力によりて達成せらる」と、校訓の「和協」を国家の富強に結び付けていることである。教育全体の目標として掲げられた国家社会の要求に適応することにも対応するからである。訓育に関してさらに注目すべきことは、訓育部を設け職員全部の連絡統一を図り、学校内外における生徒の行為に留意し、特に「読物の選択」「思想の善導」に対して指導の責に任じるなど、思い切って踏み込んだ活動を行っていることは、「教育勅語を経」とし「戊申詔書を緯」とする「教授教養の方針」の具体化であり、戦前の我が国の教育の特質を反映しているものといえる。学校内外を巡視して、生徒の服装、言動、衛生、整頓などに注意する看護当番も、同校の訓育の一環であり、活動の範囲はともかく、小学校および中学校に共通な組織である。
大正期の面目躍如たる活動に校友会の活動がある。校友会は「本校教育の主旨に基き会員相互の親睦を図り、知徳を修養し身体を練磨し本校の校風を発揚するを以て目的」とし、その組織は通常会員(本校生徒)、特別会員(本校卒業生)および賛助会員(本校職員)から成るものである。その部門としては、第一部図書・学芸・講演、第二部野球、第三部庭球、第四部オリンピック競技および徒歩、第五部相撲・フットボール・弓技・水泳、第六部庶務・会計などがあった。このようにこの時期にその種類を増し多種多様な内容を含むことになった校友会は、教師指導下の自治活動として、大正期らしい活動を展開していった。庁立函館中学校でも各部の活動が活発で、大正10年に第7回全国中等学校野球優勝大会に出場した野球部や、大正14年に第2回全国中等学校水泳大会に出場し、総合1位となった水泳部や関東大震災後に義捐音楽会を開催した音楽部など、この時期の多彩な課外活動の成果を物語るものといえよう(北海道函館中部高等学校『函中百年史』)。 大正期は、先にも触れたとおり、高等教育機関が拡張されて門戸が広くなった時期であった。そうした高等教育機関の拡張に伴って中学校の卒業者の進学の増大がもたらされ、庁立函館中学校でも、大正期の後半には卒業者の7、80パーセント台の進学者を出すほどの進学の高まりをみることになったといわれる(北海道函館中部高等学校『七十年史』)。 |
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