通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 1 大正デモクラシーと教育 4 実業教育 庁立函館商業学校の教育 |
庁立函館商業学校の教育 P661−P662
元町校舎時代から五稜ヶ丘校舎時代を通じて、大正期の函館商業学校の教育活動は、その充実ぶりを世に示していた。野球部の全国大会出場や、水泳部の「全道三連覇」など、大正デモクラシー期の多彩で活発な校友会活動の一端を示すものである。 商業界はもちろんのこと、学会、画壇、文壇など多方面に多くの人材を送り出す同校の伝統が、いよいよ強固なものになったことをこの時期の同校卒業生の活動が示していく。なかでも傑出した多くの画家を世に送る基になった「オーロラ画会」の存在は、意義深いものがある。函館商業学校の教育が、広く社会一般の認めるところとなったことを示す指標なのであろう。 同校の入学歩合は、終始競争の激しさを示すものとなっている(表2−154参照)。 大正10年4月、類焼による校舎の焼失は大きな試練の時であったといえるが、これを機に、学校関係者はもちろんのこと、函館教育会、函館商工会議所、区会および区民一体の拡張運動が実を結び、先にも触れたような拡張移転が実現し、同校のいわゆる五稜ヶ丘校舎時代が始まるのが大正11年のことである。
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