通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 6 倉庫業の変貌 2 主要営業倉庫 金森倉庫 |
以下は平成2年に行った企業別聞取調査の記録である。
金森倉庫 P536−P537 函館営業倉庫の創業は、金森倉庫に始まる。今日まで、その偉容をのぞかせている金森倉庫の、大正以来の活動は、函館営業倉庫の典型である。施設は次のとおりである。
金森商船は、明治39年11月、明治以来の個人企業から金森合名会社となり、大正5年8月、金森商船株式会社(公称資本金300万円)となったのであり、倉庫業の外、海運業、地所建物の貸付業その他を兼業している。倉庫業の盛期は大正〜昭和前期、米の統制時代までで、ピークは2つあった。第1次ピークは第1次世界大戦頃、第2次ピークは昭和10年ごろである。しかし、最盛期は、むしろ戦争中である。 倉庫証券は、海産物について、先ず銀行が調査し、一応の枠内で割引いた。倉庫証券には必ず保険がつくことになっているが、倉庫の建物が耐久性あるものに限られた。 荷役は作業会社が請負った。金森専属の番屋があり(金森番屋)、3班乃至4班の労働者が詰めていた。各班に班長がおり、1班10人であった。米の動いている頃が最盛期で、すべて、肩荷役であった。米は16貫が1俵で、強い人は2俵はかついだ。女人夫もいたが、彼らは、海産物の細(こまい)を扱った。スルメは女人夫は使わない。倉庫には、倉庫係が1人ずつ荷さばき所にいて、管轄倉庫を任せられていた。正規社員で現場にいるものは、それだけで、筋肉労働者は、社員ではない。倉庫前までは馬車(陸上)及び艀(海上)で、貨物を運んだのである。扱ったのは海産物のスルメ、コンブ、北洋の缶詰、バラ鮭鱒、それに米である。 |
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