通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業
3 工業化の進展

2 業種別各産業の動向

木製品(製材・木製品工業)

食料品(醸造業、菓子製造業、冷蔵・製氷業)

ゴム(化学工業)

木製品(製材・木製品工業)   P442−P443

表2−60 木製品工場(職工5人以下)
   
工場数
職工数
生産額 円
大正14
昭和1
2
3
262
280
244
246
1,139
1,169
1,095
1,107
2,624,880
2,976,595
3,024,280
2,954,560
各年「市勢要覧」より作成。
 木材の加工業は表2−56によると、生産額が200万円をこえる大きな産業であって、 製材場と木工所にわかれる。木工所には多数の零細工場があるので、この産業の全工場数は大正14年で449工場(『函館商工名録』商業会議所)であるが、木製品工場(品目)としてとらえたものは表2−56(大正14年、→生産額(品目別、業種別))で262工場、産業として職工5人以上でおさえたものが表2−57(昭和元年、→生産額(品目別、業種別)))で38工場にすぎない。木製品工業の職工5人以下使用の工場の内容は表2−60の通りで、これを表2−53(→工場数、工業会社数)の内容と比較すれば、その占める比率は、工場数で40数%、職工数で50数%、生産額では約75%であって、木製品工場が主力であったことがわかる。
 大正後期の木材市況は関東大震災の復興需要期の騰貴を除いて価格は低落気味であった。この頃開業した製材業者は、濱岡重蔵、瀬崎初三郎、藤山四郎、辻才次郎などがあげられるが、いずれも明治期よりの木材商の許で経験を積んで独立した人達である。これらの業者の取扱数量の5割は大正後期より需要の急増した漁業関係で、残りは市内の建築工事、木工、家具、造船および近郷の農村、漁村の需要であった。木材の移輸入先は道内、樺太沿海州、米国、カナダなどで、鉄道および船舶輸送によったが、原木および製材で、昭和2、3年には50万石内外であり、価額は300万円をこえていた。漁業用の内訳は包装材料が最も多く、それまでの筵包みに比して箱材、桶樽は品質の傷が少なかったからである。缶詰函、塩蔵函、冷蔵・冷凍函として使用された。しかし、函館の木工場で製造されたものは全体の3割にすぎず、三井物産工場、釧路の製材工場、あるいは名古屋港からも移入された。巨大な漁業需要はこのほか、漁場用建築材料、工場機械製作材料、海岸桟橋およびデッキ材料、建具材および家具材、漁具、木工船具材料などが数えられる。木工、家具については、『函館市史』都市・住文化編の第3章、「函館の洋家具」に詳細に論じられている。
 なお、表2−57(→生産額(品目別、業種別))の昭和5年における製材及木製品工業の生産額約385万円の構成は、製材業が77%、建具及家具製造業が8.9%、包装用木樽及桶製造業1%、その他の木製品製造業が13%であって、包装用木箱などの金額が低いが、これは製材業者が製箱を兼業していたことと、前述のように5人以下の工場が恐らく下請で製箱業を営んでいたためであろう。また、木材業者としての課題は港内における貯木場の設置であった。
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