通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 2 業種別各産業の動向 食料品(醸造業、菓子製造業、冷蔵・製氷業) |
食料品(醸造業、菓子製造業、冷蔵・製氷業) P443 食料品の全工場数は大正14年で795、製材・木工場の449を上回って製造業の中で最も多い。ここではそのうちの3業種をとりあげる(表2−61)。
清酒 P443−P444 清酒はすでに明治期から発展してきたが、この頃清酒の主産地は札幌、旭川、小樽となっており、函館の生産量は札幌の2割強にすぎない。大正10年には5工場であったが、昭和3年からは3工場となり、醸造量も大正11年からの8千石台は昭和2年から7千石台におちてきている。したがって製造額も80万円台から70万円台となった。明治期からの丸善菅谷商店は大正2年には工場を五稜郭に移転し、昭和3年には職工数64名、産出量約5千石であった。室蘭支店、樺太の大泊支店をすでに明治40年には開設しており、市内は音羽町、西川町に小売場を設けていた。代表銘柄の「五稜正宗」は会議所の卸売価格調査の品種にえらばれている。府県からの清酒移入量は大正期の2万数千石が昭和初期には3万石をこえたが、いわゆる地酒を含めた函館から道内への移出量は約1万4千石であった。したがって、市内には2万石をこえ3百万円を上回る需要があったことになるが、市内の清酒市場における府県産品の優位性は高まる勢いであった。 醤油 P444 工場数では大正10年すぎの10数工場が昭和4年には10工場となった。4、5千石の醸造量は昭和4年には3千数百石に減少した。今井辰五郎の個人経営から合資会社となった旭醤油は2千石に近い生産量で、うち5割は市内で販売され、残りは道内から樺太、露領であった。道内の醤油業界では、函館は小樽、札幌、旭川に次ぐ生産量であるが、小樽の5割以下であった。なお、府県からは2百万円をこえる醤油が移入されているが、地元産品とあわせて約7割が道内へ移出された。卸売価格では地元産の上の品種でも、野田や銚子産の価格に及ばなかった。味噌 P444−P445 味噌は醤油との兼業者が多く、前述の旭醤油もそうであった。10数工場の生産量は約30万貫であったが、昭和4年には20万貫台におちている。金九宮崎大四郎店が代表的銘柄で昭和5年から会議所の卸売価格調査の品種となっている。約2万樽で20万貫の販路は市内が3割、7割が道内、樺太および露領向けであった。市内の消費量は昭和初期で85万貫といわれており、家庭用は天然醸造品(種味噌の天然醸造品を大手業者から買入れて速醸品に混入して出来た味噌)であったが、漁場向けは一週間で製造する速醸品があてられたといわれる。津軽、南部、佐渡などからの移入量は昭和初期では100万貫となり、そのうち50万貫をこえる味噌が道内へ移出されている。道内では旭川の生産量がトップで、函館は札幌に次ぐ生産量であった。卸売価格では地元産の上の品種でも津軽産よりやや低い状態であった。味噌、醤油業者ともに創業は古いが、規模が他産地より小さいから合同すべしとの論議がおこっていた。なお、清酒、醤油、味噌製造業の合計生産額は昭和5年の食料品工業の生産額の中で29%トを占めている。 菓子 P445−P446
他方、創立が大正4年の帝国製菓は乗物ビスケットが著名であった。大正13年には小樽市に分工場を増設して道内中央部への販路を確保し、さらに昭和2年には旭川市にも工場を開設して道北と樺太方面の販路を固めたが、昭和3年には仙台市の若生製菓(株)を買収して仙台工場とする発展をみせ、7割配当も実施したといわれる。府県からの菓子移入額は大正14年以降、百数十万円はあったが、この金額にまさる生産額を函館菓子業界はあげており、醸造業とは対照的に成長する業種であった。道内への移出額も府県移入額プラス地元産出額の合計から2百万円におよぶ額が移出された。 そして市内では北洋漁業向けの供給も含めて百万円をこえる需要があった。盛んに生産された漁場行きの兵丹パンは大衆菓子として現在もなお生産されている。
冷蔵・製氷 P446 食品の流通・加工に大きな役割を果たした冷蔵庫と人造製氷業がこの期に誕生する。小熊倉庫(株)が大正14年に普通営業倉庫以外に冷蔵倉庫を設置し、製氷業も始めたのである。収容能力は1日千トンで、アンモニア直接膨張式冷凍機2台を据付け、冷凍室は16室であった。製氷能力は1日10トンである。昭和2年の利用状況は、散塩鮭鱒の函入、筵包塩鮭鱒、冷凍いか、冷凍鮭などのほか、鳥獣肉類・鶏卵・各種海産物、果実の取り扱いがあった。冷蔵庫業は小熊倉庫に続いて、昭和3年には函館冷蔵会社が海岸町で創立され、製氷業も行った。また五稜郭の天然製氷は竜紋氷室が大日本製氷会社となって営業を続けた。 |
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