通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 「市是」の制定と市民懇話会の開催 |
「市是」の制定と市民懇話会の開催 P237−P239 市是の概要を紹介しておく。佐藤市長が函館に赴任して早々「函館の港は良いと思って赴きたるも、実際は地形が良いばかりで何等の設備がない」(佐藤孝三郎『高岳自叙伝』)ことから小熊幸一郎を会長に大正14年「港湾調査会」を起こしたことが「市是」制定の原点で、さらに「臨時産業調査会」「臨時教育調査会」を組織して策定された市の基本計画といえるもので、昭和3年11月21日「函館市公報」号外付録として公表されている。緒言と目次(表2−6)は次の通りで、産業都市を目指した函館市の方針を明示した最初であった。
緒言 第1回は大正15年3月23日公会堂、24日宝小学校、25日松風小学校で開催された。第1日目は各界の代表者約300名であったが、2日目は約400名多数の婦人も聴講したとある。市長はその目的を「自治制度の実際的訓練を目標とした社会的成人教育」と述べ、「市政の大要に就て」を講演、弥吉総務課長「産業、統計、戸籍事務について」、稲垣教育課長「教育及徴兵」、本島都市計画課長「都市計画」、大石社会課長「社会及衛生」、朝倉経理課長「納税改善」、本島土木課長「道路」、於保港湾課長「函館港」、吉谷水道課長「水道設備」と課長がそれぞれ担当分野の説明を、会場には参考資料として統計および図表絵図面などが展示された。 |
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