通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実
第1節 市制の開始
2 市政の展開

第1回市会

初代市長候補者の選挙

小浜市長の辞任

2代目市長佐藤孝三郎

「市是」の制定と市民懇話会の開催

3代目市長の就任と突然の辞職

「市是」の制定と市民懇話会の開催   P237−P239

 市是の概要を紹介しておく。佐藤市長が函館に赴任して早々「函館の港は良いと思って赴きたるも、実際は地形が良いばかりで何等の設備がない」(佐藤孝三郎『高岳自叙伝』)ことから小熊幸一郎を会長に大正14年「港湾調査会」を起こしたことが「市是」制定の原点で、さらに「臨時産業調査会」「臨時教育調査会」を組織して策定された市の基本計画といえるもので、昭和3年11月21日「函館市公報」号外付録として公表されている。緒言と目次(表2−6)は次の通りで、産業都市を目指した函館市の方針を明示した最初であった。
表2−6 函館市是目次
第一 函館港施設経営方針
 1 港勢
    北海道の関門
    海産市場且つ遠洋漁業策源地
    工業地の港湾たらざるべからず
 2 既定計画の施行促進
   1 第二期北海道拓殖計画
    現在防波堤の延長整備
 2 市営埋立計画
    西浜町地先埋立
    海岸町埋立
 3 予定計画の樹立並実現
   1 工業用埠頭
    旧亀田川から七重浜以北一体工場地
   2 東京湾埋立株式会社の埋立計画
    海岸町埋立隣接地の埋立
   3 鶴岡町埋立
    停車場付近と西部海岸との連絡埋立
   4 旧桟橋地先埋立
    近海航路乗降船客用埋立
 4 沿海航路用繋船その他設備方針
    埋立地には荷揚用地(幅員十間以上の余地)
    を設備、艀の繋留場選定など
 5 臨港陸上設備方針
    税関港務部の設置
    港湾陸上設備の完成
 6 港湾維持整理方針
    港内浚渫励行、埋設物の整理
    塵芥の処理、綜合庁舎の建設
第二函館市産業振興方針
 1 水産業
  1 海峡漁業の改善及沖合漁業の奨励
  2 漁業策源地たる地位の確保及向上
  3 水産貿易の振興
 2 工業
  1 土地動力及燃料等の廉価供給
  2 現在工業の振興
  3 工場工業の誘致
 3 商業
  1 貿易(水産以外の)の振興
  2 物価の低下(市営日用品卸売市場)
 4 運輸交通
  1 水運(近海航路網増設、新航路増)
  2 陸運(鉄道複線化、道路舗装、下水の完成、
    航空路、通信機関の整備)
 5 金融
  1 産業資本の潤沢
  2 庶民金融の円滑
 6 各産業共通事項
  1 企業組織の改善
  2 自由港区の設置
  3 産業団体の活動促進
  4 災害の予防
 7 付帯方策
  1 園芸養鶏その他副業奨励
  2 社会政策的施設の徹底
  3 上水道の設備充実
  4 保健衛生施設の周到を期す
  5 産業関係の統計の統一
第三函館市教育施設方針
 1 小学校教育
    二部教授の撤廃
    学級編成単位の低減
    高等科の内容充実
 2 補習教育(産業教育の普及徹底)
    専任枚長並教員の配置
    特科の増設
    補習教育と青年訓練との連絡統一
 3 中等教育
    中学校の設置
    女子商業学枚の設置
    外国語学校の設置
 4 高等教育
    高等水産学校の設置
    高等工業学校の設置
 5 幼児保育
 6 特別教育
    心身の薄弱児童教育の場設置
    盲聾唖教育の完備
 7 社会教育
    博物館の設立
    簡易図書館の設置
    社会教育指導機関の設置
    史蹟保存
    先哲功労者の表彰
 8 付帯方策
    優良従業員の養成
    児童保健施設の普及徹底

   緒言
 函館市百年の将来を洞察し所謂大函館の建設を目標として市民永遠の福利を増進せんには何よりも市是を確立するのが良策である。市是は当に函館市の進むべき航路を示す羅針盤に外ならない。
 函館の地は港湾都市なる特殊の地理的関係にあるを以つてその存在は一に繁って港湾の良否にある。往昔箱館が松前藩又は徳川幕府の権力を以つてすら猶福山に対抗してその存在を主張し得られたのは一に天恵の良港であった為に外ならない。
 浦賀湾頭に桃源の夢破られた新興日本に於て重要なる役割を演じた五港…その一となったのもこれが為である。第一に函館市是は港湾の施設経営方針にありとする所以亦これを出ない。
 函館に富を齎らし力を与へ洋々たる希望を繋がしむるには産業の振興を画するにあるや言を俟たない。函館は遊覧都市にあらず、政治都市にあらず、宗教都市にあらず、教育都市にあらずして産業都市である。されば如何にして函館の産業を興隆に赴かしむるやの方策は市是の最も重要なる一項目である。
 函館を将来に背負って立つものは今日の小市民である。故に市の隆替は実にその教育の是非と因果関係に立つ。世界対戦に一敗地に塗れたるドイツが戦後極度の財政上の窘窮にも拘らず多大の国費を教育に投じてゐるのは他日のドイツを建設せんが為めである。教育の振興が大函館の建設に緊要欠くべからざるものたる以上、定むべき市是は此の分野に於ても樹立さるゝ必要がある。
 要するに市是は港湾、産業、教育の三大部門に於て樹立さらるゝを要し、且之れによって略盡さるゝのである。
 市是は百年の大計である。少くとも現在に於て進むべき市の確固不抜の進路であらねばならない。故に挙市一致の理想であって、個人の私案乃至は少数者の我観に止るべきではない。
 市は両三年来市是確立の為「函館港湾調査会」「臨時産業調査会」「臨時教育調査会」の三調査会を設け市公職者専門家並に有識者を委員に委嘱して市民の意嚮を討ね、諸般の施設計画に愆なからしむるやう慎重に調査を遂げたのである各調査会は部会制度による幾つかの問題を分担して慎重審議し総会に於て更に研究を重ねたる上夫々適切なる答申を与へたるのである。
 以上の如き方法の下に樹立されたものが即ち本書に於て発表せられたる所謂函館市是である。

 また、「市是」制定の過程では市民懇話会を開催している。佐藤の自叙伝では函館港の改良策の概要説明と都市計画案を説明して世論を興すことを目的として開催した旨が述べられているが、当時の新聞に「本道最初の試み」として紹介されている。第1回目の概要を次に示しておく。
 第1回は大正15年3月23日公会堂、24日宝小学校、25日松風小学校で開催された。第1日目は各界の代表者約300名であったが、2日目は約400名多数の婦人も聴講したとある。市長はその目的を「自治制度の実際的訓練を目標とした社会的成人教育」と述べ、「市政の大要に就て」を講演、弥吉総務課長「産業、統計、戸籍事務について」、稲垣教育課長「教育及徴兵」、本島都市計画課長「都市計画」、大石社会課長「社会及衛生」、朝倉経理課長「納税改善」、本島土木課長「道路」、於保港湾課長「函館港」、吉谷水道課長「水道設備」と課長がそれぞれ担当分野の説明を、会場には参考資料として統計および図表絵図面などが展示された。
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