通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第6節 社会問題と労働運動の展開
2 労働運動の変容

春闘の攻防と労働争議

函館ドックにおける労働争議

不況と失業者

「逆コース」と「六〇年安保改定」反対運動

軍事基地化反対運動

原水爆禁止運動と非核都市

労働戦線の対立

オイルショックと物価値上げ反対運動

生活協同組合の消費者運動

「逆コース」と60年安保改定反対運動   P537−P538

 昭和26年9月8日に対日講和条約と日米安全保障条約が結ばれた後、警察予備隊の保安隊改組(27年10月)、教育委員の任命制など「教育の政治的中立」をめぐる教育2法公布(29年6月)、防衛庁・自衛隊発足(29年7月)、文部省の「勤評実施」通達(32年8月)、警察官職務執行法改正案国会提出(33年10月)などをめぐり、しばしば国論が二分され政治問題となった。このような政府の一連の施策に対して、「平和と民主主義を尊重する日本国憲法」の精神と相容れられない、「逆コース」の始まりだとして、教育労働者などから批判、抵抗行動が展開された。日本教職員組合は昭和26年、「教え子を再び戦場に送るな」の有名なスローガンを生み出し、「平和と民主主義の教育」を全面に打ち出すようなった。また、各労働組合も経済的課題と政治的課題の両者を一体のものとして考え、運動を展開するようになった。
 これらの各課題をめぐって北海道段階では政党、労働組合などによる共闘組織が結成され、勤評反対連絡会議(33年4月)、警職法改悪反対連絡会議(33年10月)、日米安保体制打破道民会議(34年3月)などが反対運動の中核組織となった(全道労k協20年史編纂委員会編『北海道労働運動史年表(戦後編)』)。函館では安保改定阻止第9次統一行動(34年12月)に2000名が参集した。翌35年5月19日の新安保条約強行採決(衆議院本会議)に反対して翌20日に全道各地で抗議集会がおこなわれたが、函館においても5000名の参加があった(ほっかい新法社史刊行委員会編『北海道・進歩と革新の運動史年表』)。日米安保体制の強化に反対する行動はこの後、6月19日の自然成立以後も続けられた。とくに、安保闘争の全国的中心組織となった安保条約改定阻止国民会議(幹事団体は、社会党・総評・中立労連・護憲連合・原水協・平和委員会・青年学生共闘会議など13団体で、共産党はオブザーバーとして参加)がおこなった6月22日の第19次統一行動では全国で戦後最大の600万人の参加があり、北海道では国鉄労働組合岩見沢(ピケ隊7000名)と同五稜郭駅(ピケ隊4000名)が結集し、ストライキを実施した。全道で集会39か所、4万2000名が参加した(前掲『北海道労働運動史(戦後編)』)。翌6月23日、岸首相は辞意を表明した。
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