通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第6節 社会問題と労働運動の展開
2 労働運動の変容

春闘の攻防と労働争議

函館ドックにおける労働争議

不況と失業者

「逆コース」と「六〇年安保改定」反対運動

軍事基地化反対運動

原水爆禁止運動と非核都市

労働戦線の対立

オイルショックと物価値上げ反対運動

生活協同組合の消費者運動

 

生活協同組合の消費者運動   P541−P542

 公共的な物価値上げにより市民生活が直撃されるなかで、これまでの労働組合運動型の市民運動と並んで登場してきたのが、消費者運動であり、生活協同組合(以下、生協)の登場であった。函館市民生協(村田喜一理事長)は「安くてよい物を消費者へ」をスローガンに昭和45年8月、組合員1000人で道南で初めて設立された。折からの物価高、有害食品追放運動などが、主婦の関心を高め生協組合員の拡大につながった。同生協は、同年10月には亀田店を設立、続いて日吉店(46年11月)、柏木店(47年12月)と急速に拡大し、48年11月は、組合員6500人、年間売り上げ11億円に達するなど、急成長を遂げた(昭和48年11月10日付け「道新」)。
 このような成長を遂げた背景のひとつには生協の社会運動重視の姿勢があった。「空前の物価騰貴とモノ不足解消のために消費者は立ち上がろう」と、函館市民生協では昭和49年2月16日、「生活危機打破、悪徳企業糾弾緊急行動委員会」を結成し、値上げのリーダーシップをとったメーカー商品の不買運動や生活必需品の一部について低価格販売を実施するなど、文字通り「暮らしと生活を守る」運動の先頭にたった(昭和49年2月17日付け「道新」)。さらに同年3月23日、「インフレと物価高から生活を守ろう」と、「インフレ阻止・生活擁護道南緊急決起集会」が函館市労働会館で開催された。主催は同実行委員会(渡島地区漁協婦人部連絡協議会、道南地区農協婦人部連絡協議会、函館市民生協など、渡島・檜山管内の婦人組織・消費者団体、政党など19団体)で、女性を中心に300人が集まり、「インフレ、物不足、物価高における私たちの生活」というテーマで話し合った。集会の最後に国や自治体、業界に対し「(1)値上げの実態の究明、(2)便乗値上げの点検、(3)不当利益を消費者に還元すること」などを求めた決議を採択し、その後、集会参加者たちは函館市内をデモ行進し、「住民の力を結集して、私たちの暮らしを守る政治にかえよう」と訴えた(昭和49年3月24日付け「道新」)。
 高度経済成長期の社会的矛盾の拡大は多様な運動の必要性を求めるようになった。運動主体は労働組合だけでなく、市民型の運動が拡大し、問題の解決のために多くの市民が参加するようになった。この時期、女性の進出・子育て運動・医療運動(昭和50年、道南勤労者医療協会設立)、環境保護運動などが広がりをみせた。
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