通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


「函館市史」トップ(総目次)

第2章 高度経済成長期の函館
第6節 社会問題と労働運動の展開
2 労働運動の変容

春闘の攻防と労働争議

函館ドックにおける労働争議

不況と失業者

「逆コース」と「六〇年安保改定」反対運動

軍事基地化反対運動

原水爆禁止運動と非核都市

労働戦線の対立

オイルショックと物価値上げ反対運動

生活協同組合の消費者運動

軍事基地化反対運動   P538−P539

 新安保条約が成立後、昭和30年代後半になると函館においても自衛隊の駐屯やアメリカ艦隊の寄港が続くようになり、その都度、反対運動が起こった。
 昭和37年8月3日、滝川市から函館駐屯地に第一一師団二八普通科連隊、700人が移駐してきた。市内新川町共愛会館広場に到着後、同師団所属音楽隊のマーチ演奏にのって市役所広場前まで行進し、市主催の歓迎会がおこなわれた。その後、駅前から松風町の目抜き通りを行進し、棒二デパート前に特設された観覧台上で川村連隊長・吉谷函館市長らの観閲がおこなわれた。一方、このような動きを「軍国主義の復活」とみなす安保体制打破函館地区共闘会議の労組員500人は、自衛隊員の観閲行進に続いて同じコースを「自衛隊反対」を連呼しながら抗議行動をおこなった(昭和37年8月4日付け「道新」)。また、昭和37年8月18日のアメリカ艦隊函館入港、38年9月14日に函館など北海道各地の港にアメリカ艦隊が入港した。40年6月21日のアメリカ第七艦隊入港などの際には、函館では1000名規模の抗議集会が開催された(前掲『北海道・進歩と革新の運動史年表』)。
 このように函館地区をめぐる軍事・防衛施設の強化に際してはその都度、政治・社会問題となった。昭和42年9月7日、陸上自衛隊通信施設の函館山占用問題が浮上した。これは函館山の通信施設を全国軍事基地網の一環に組み入れるものだとして、「函館山軍事基地化反対共闘会議」を中心に反対運動が進められた(北海道平和委員会編『北海道黒書』)。
 また、昭和40年2月、アメリカは北ベトナムのドンホイを攻撃し、北爆を開始した。ベトナム戦争は昭和50年4月30日に南ベトナム、サイゴン政府が北ベトナムに降伏して終了したが、日本の国土をベトナム戦争に利用したアメリカに対する批判は強く、ベトナム反戦運動が函館においても根強く展開された。
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第4巻第6編目次 | 前へ | 次へ