通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第4節 交通・運輸体系の変容と函館の位置づけ
1 函館港施設の新設

戦後の停滞と北洋漁業の再開

港湾管理者と諸官庁

中央埠頭の建設

そのほかの港湾施設

石油基地と矢不来埋立計画

緑の島と湾岸道路

港湾管理者と諸官庁   P468−P469

 昭和22年施行の現行憲法の目標である、民主化の実現に基づいた25年制定の港湾法は、戦前・戦中の国家による港湾管理を廃止し、新たに各港に港湾管理者を設けた。港湾法は、港湾管理者として、英米のポート・オーソリティをイメージする港務局を想定していたが、実際には、公選知事を首長とする都道府県および市町村(実際は市)が港湾管理者となった。函館市の場合、北海道が全道港湾の港湾管理者となるという構想ではどうかと道庁から打診されたが、函館市は拒否、結局、28年に函館市が港湾管理者となった。その拒否の背景には、戦前・戦中を通じて、函館港に対して、道庁(実際は内務省)が、ほとんど金を出してくれなかったという不信感もあったと報じられている(昭和25年2月19日付け「道新」)。同時に港湾収入のいかんともしがたい不足を眼前にして、港湾法の港務局収支均衡原則の達成不可能をどうするかという、解決しがたい難問に直面する。現実には、港務局(ポート・オーソリティ)を棚上げ、国(運輸省)が法律制定によって、国家資金を直接投入することに落ち着く。
 北海道では、道庁を通さず、北海道開発法によって成立した北海道開発局が港湾建設にあたり、運輸省の出先機関の北海海運局函館支局(昭和17年設置)が、市と並んで港湾行政を担うことに落ち着いた。北海道開発法は、現実には道庁の権限を取り上げて新設の開発局に移すことになるので、北海道知事田中敏文の猛反対を招いた(『道南の槌音 函館建設業界史』)。国はこれを押し切って、道庁土木部から国費職員を開発局に移して、昭和26年に北海道開発局を発足させた。北海道開発局函館開発建設部は、元町の函館土木現業所庁舎を譲り受け、同年、事務を開始した。「港湾、河川事業のほとんどが直営、人夫は主として失業対策として職業安定所から供給されていた」(同前)。函館の港湾建設は、この函館開発建設部設置によって、新しく始まる。
 なお戦後の港湾行政のなかで、もっとも早く活動を始めたのは、北海海運局函館支局である。それは、GHQ指導のもとにおこなわれた港湾運送業の民主化、労働者供給業禁止政策の実施であった(和泉雄三「戦中戦後の函館港湾運送企業」『地域史研究はこだて』第8号)。
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