通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第5節 躍進する北洋漁業と基地の発展

2 日ソ漁業条約成立後の日ソ漁業関係

日ソ漁業条約の成立

国営漁区問題

個人漁業家の進出

ソ連漁業家と函館

ソビエト通商代表部函館支部

ソ連漁場の日本人労務者

日本人労務者の雇用中止

漁撈長相互会の反対運動

ソビエト通商代表部函館支部   P590−P592


通商代表部函館支部長交代の挨拶(昭和2年3月3日付「函新」)
左:トレイチャコフ、中央:佐藤函館市長、右:フィンケル

 大正14年1月の日ソ基本条約の締結は、両国の通商関係においても画期的変化をもたらした。すなわち、新たに成立したソ連政権は、外国貿易を一元的に国家の統制・管理の下に置くことを決め、同年12月、ソ連の対日通商機関としてソビエト通商代表部が東京に開設され、次いで函館と神戸にその支部が設置された。この機関の性格であるが、機関の代表者となる通商代表は、駐日ソ連大使館付属商務参事官として外交官の身分をもつ。しかし、代表部自体は、商事会社と同様の私的機関であり、一般職員は何等の外交特権をもっていなかった(『日露年鑑』昭和4年版)。
 翌年5月、通商代表部函館支部では、市内のソ連貿易関係者70名を招待して、支部の開設記念パーティーを開催した。席上、初代フィンケル支部長は、「私は露国の天然資源開発に就いて日本特に函館市民に資金の融通、物資の供給に就いて充分なる理解と御援助を請ふものである。極東には明言し得られない程の宝庫が埋没されてあるから、理解ある提携の下に経済的の親善関係を結びたい」と挨拶して、市内商工関係業界に対する期待を表明し、積極的な協力と援助を要請した(大正15年5月20日付「函毎」)。
表2−119 対ソ連漁業貿易輸出額
                     単位:円
品名
昭和3年
昭和4年
昭和5年

食塩
飲食物
縄索類
漁網
布帛・衣類
石炭
鉄製品
船舶
学術器・機械類
木材類
木製品
藁製品
雑品
160,840

103,200
98,243
604,346
243,765
743
648,620
381,185
89,921
13,251
29,022
60,628
245,560
34,852

222,408
278,604
1,200,061
345,409

1,266,761
939,469
309,165
13,407
57,430
147,345
309,329
5,533
42
184,024
388,072
2,052,250
298,962
56
2,158,685
1,601,683
398,362
3,216
57,756
243,542
372,381
合計
2,704,269
5,124,240
7,764,564
『昭和5年外国貿易概況』函館税関による。
注)昭和3年の合計が合わないが、出典のまま掲載した。
 函館支部発足後は、国営企業をはじめ、コオペラチブ、個人企業家の資金調達、漁業用品の買い付け、漁獲物販売などの函館商人との一切の取引業務、そして日本人漁夫の雇用契約は、先のダリゴストルグに代わって、ソビエト通商代表部函館支部が処理した。通商代表部が函館で調達した物資は、主に漁業用資材類で、買付額(対ソ輸出額)の60〜70%は、漁網、鉄製品、漁船などの漁業資材およびその他関係用品であった。函館におけるソ連側の買付額は、経営漁区の拡大に応じて大幅に伸び、表2−119のように、昭和5年には776万円で、昭和3年の3倍に増加した。そして、この買付金額は、同年の函館における対ソ漁業貿易輸出額の半分以上を占めており、通商代表部による漁業物資の買付は、函館の関連業界に多大の影響を与えていた。
 しかし翌年になると、手形の決済期限を9か月〜1か年に延長することを求めるソ連側と、3〜6か月を主張する函館商人側が対立して商談は難行した。ソ連側は、東京の通商代表部を通じて9か月契約で買い付けを行っているので、函館商人の条件では商談に応じられないことを伝えている(昭和6年3月19日付「函毎」)。こうしてソ連側は、より有利な条件を求めて各地で仕込み物資の買い付けを行うようになり、函館商人との取引は次第に減少し、その結果、函館における対ソ漁業貿易の輸出額は次第に縮小した。なおここで触れた手形決済期限の問題は、昭和6年から7年にかけて、いわゆる、クレジット問題として日ソ通商関係を左右する重要問題の1つになっていた(『日露年鑑』昭和9年版)。
 昭和5年の函館におけるソ連貿易関係企業として次の11社が挙げられている(『日露年鑑』昭和5年版)。
 日本製罐株式会社(空缶及び木箱輸出)、函館製網船具株式会社(漁網船具輸出)、日本漁網船具株式会社(漁網船具輸出)、日魯漁業株式会社(魚類輸入)、函館ゴム株式会社(ゴム製品輸出)、鎌重支店(縄叺筵輸出)、岡本与三八商店(縄叺筵輸出)、共同漁網店(漁網輸出)、寺中商店(輸出)、株式会社有江鉄工所(小型船舶輸出)、島本鉄工場(モーター、機械類輸出)
表2−120 ソ連企業水産物の函館港輸入額
                  単位:円
品名
昭和3年
昭和4年
昭和5年
鮮魚
塩鰊
塩鮭
塩鱒
鮭缶詰
鱒缶詰
蟹缶詰
筋子
肥料
その他
498,452
45
1,072,233
186,319
43,422
60

5,686
12,608
18,041
732,237
34
1,770,590
1,196,192
14,780
2,420
4,588
12,924
7,400
8,082
148,550
42
397,767
472,842
163
93
620
1,946
5,901
222
合計
1,836,866
3,749,247
1,028,146
『昭和5年外国貿易概況』函館税関による。
 企業の業態は、漁網、機械、船舶等のメイカー、漁業用品・資材商などで、仕込商人的性格の海陸物産・海産商は見当たらない。仕込物資の調達が、通商代表部に一元化されたことによって、函館におけるソ連との交易関係が大きく変化したことが窺われる。
 ソ連側から輸入される水産物をみると(表2−120)、主に塩蔵鮭鱒であり、昭和3〜4年には375万円と倍増している。だが翌年は減少して、その後は顕著な伸びをみせていない。これはソ連側が、生産の重点を付加価値の高い缶詰生産へ移し、塩蔵魚も、直接中国その他アジア市場への輸出に切換え、日本市場依存の状況からの脱却を図った結果とみることができよう。
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